見出し画像

家族について本気出して考えてみた〜子宮と頭で考える①〜

私はアラサーの既婚女性。
子供はまだいない。

数年前に、産婦人科で検査結果を告げた医師は私に言った。いま、将来を真剣に考えているパートナーはいますか、と。妊娠を望むのなら、早く行動したほうがいい、と。子宮を永遠に失うことは、今は避けられたけれど、これから投薬が必要だし、いつ全摘出になってもおかしくない、と。

私は今までに、産婦人科で様々な医者から様々な声をかけられた。出産で女性の体は変わることがあるから、治療の意味でも出産をしたほうがいい、と男性医師だけでなく女性医師にも言われた。
たしかに、医療従事者のなかにも様々な考え方があり、医学的にも様々な解釈があるのだと思う。
ただ、私は自分の体の治療のために子供を産むという考え方が、はっきり言って意味がわからなかった。これは、正直今でもよくわからない。

仕事に対して責任感もあったし、産婦人科医の前で将来を考えていると公言できるほどのパートナーはいなかった。

私は、私を産み育てたはずの女性のことを考えると、出産と育児は恐ろしく、圧倒的な恐怖であり、辛いものである。もし無事に出産できたところで、ほぼ毎日フラッシュバックと戦うであろうことが容易に想像できる。

私もいつか、自分がされて嫌だったことをするのではないか。
嫌悪したあの人と、同じことを。

正直、かなりの勇気と覚悟が必要だ。

だから、結婚も子供も望まないで生きてきた。
ただ、子宮を取るかもしれない、となった時に、本当にそれでいいのだろうか、という思いが強く湧き上がった。本当に、言葉にし難い、本能的な、感情だったと思う。

いま説明したいこの感情は、子供を持つことが女の幸せとか、そういうことではない、と思う。……まだよく、そういうことを言う人たちの気持ちも、正直わからないけど。

自分の過去と向き合い、機能不全家族だとか、アダルトチルドレンとか、そういう言葉を知って、歪みがちな認知について実感を持って学んでいる。考え方の癖を踏まえて発言できるようになった。いまなら、諦めなくてもいいのでは……。

あれ、諦める?
私、本当は子供なんて欲しくもない、わけじゃなかった……の?

それに、トライすることなく子供を持たない選択肢を選ぶのは、逃げだと思う気持ちもある。

自分が過去と向き合えてないんじゃないか?
生まれてこれる可能性を潰しているだけじゃないのか?

そんな時、ひとりの男性と一緒に過ごすようになって、とても居心地がよくて、彼を看取るのは私でなくては、という思いを抱くようになった。
ちなみに、その男性は私より年上で、私より収入が低かった。

経済的な理由で子供を持てないかも。
私の子宮の都合(あるいは彼の体の都合)で子供を持てないかも。
それでもいい、と、彼と共に生きることを選んだ。

私は欲張りです。

彼が隣で目覚めてくれる日常を手に入れたら、

もっと、欲しくなってしまった。

心の奥底にしまってある、でも、かつて繰り返し思い描いていた、理想の家族、を。

寒い冬、あったかいシチューを作って待っていてくれる優しいお母さん、厳しいけれど一緒にご飯を食べてくれるお父さん。どろんこになった子供の顔を優しく拭いてくれるお兄さんかお姉さん。か弱くて守りたい存在の弟か妹。

家には灯と笑い声が。漂う美味しそうな食事の匂い。家に入ると中は明るく、暖かく、おいしいご飯が用意してある。温もりのある、手。迎え入れて受け止めてくれる、抱擁。

そういうものを、私も与えられる存在になりたい。

かつての私のような思いをしている子供を、ひとりでも、抱きしめたい。

そして、他の誰でもなく、大好きな彼との子供なら……。そう思った。

だけなんだけれど……。

数年前の産婦人科で、妊娠を望むのなら、早く行動したほうがいい、と告げたその医師は、左手の薬指に指輪をはめるようになった私に言った。
子供が本当に欲しいか、産めるのか、育てられるのか、真剣に考えてください。と。

#結婚 #妊娠 #出産 #育児 #家族 #コラム #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?