結婚について本気出して考えてみた〜To be or not to be〜

椎間板ヘルニアをやらかした。
あまりの苦痛に2日ほどのたうちまわって寝たきりであった。トイレまで這いずることすら辛かった。

一人暮らしはもう嫌だ!となるのが定石であろうが、これだけみっともなくのたうちまわって痛いよーと泣き喚けるのは一人暮らしだからだなぁと思うと、どうにも誰かと暮らすことが怖くなってしまう。キッチンを散らかしたままにしても、脱ぎ散らかした服が散乱していても、一人暮らしなら誰にも注意されずに済む。うっかり恋人が入ってきたりしなければ。

私は本当に一人暮らしを愛している。
この自堕落な生活に慣れきってしまった。
これから誰かと一緒に暮らしてなんかいけるんだろうか。
最初のうちはいいかもしれないけど、絶対私のズボラぶりに呆れられるし……。

ヘルニアになったのもいい機会かもしれない、生活環境を改めなくては。適度な運動、規則正しい生活、正しい姿勢。
自分へのお弁当作りも再開して(恋人と結婚するか迷いだしてからやる気をなくしていた)、贅沢な外食三昧も控え体のことを考えた食事にして。
……私にできるかなぁ。

恋人と結婚しようと頑張っていた頃、節約のためにお弁当も作ろう、お部屋も綺麗にキープして、なるべく自炊をするように心がけようとしていた。
でも、なんだか頑張っていた糸のようなものがプツンと切れてしまった。あの時、自分の中で切れる音が聞こえた気がした。
彼のためにではなく自分のためにと思ってやっていたことではあったけれど、やはりモチベーションとしては他人のために動くほうがやる気は出ると思う。

自分一人のために頑張ることすらままならないのに、誰かのために頑張ることができるんだろうか。そもそも頑張る必要もないのかもしれないし、誰かのためのほうが頑張れちゃうものなのかもしれないけれど。

人生はできるできないじゃなくて、やるかやらないか、だと思ってやってきた。
でも、結婚はひとりがしようと思ってできるものでもないと思う。ただ、そこに至るまでの行動はやるかやらないか、なんだと思う。やる、だけじゃなく、やらない、が正解の時もあると思う。あとタイミングっていうやつも絡んでくるから一筋縄じゃいかないけど。

ヘルニアを機にそんなことを考えた。
ちなみに恋人は発症した私を病院まで付き添ってくれ、私が苦しくてのたうちまわっている2〜3日目には酒を飲んで終電まで楽しんでいたようでうちには来てくれず、4日目の食糧が尽きた頃に食糧の補給をしてくれた。恨めしい気持ちとありがたい気持ちが混じっている。正直、もっと私の面倒を見てくれても良いのに!と思う反面、結婚しているわけでもないのだから上出来な方、とも思う。しかし、2〜3日目の痛みと孤独に耐えるのはとてもつらかった。
多分、これからもそうなんだと思うけれど。私の恋人は最低限助けてはくれるけれど、手放しで甘やかしてはくれない。わかってはいたけれど、さて、どうしたものか。そんな恋人と結婚、する?しない?

私には恋人がいる。プロポーズはまだ、ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?