木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第12回 小説講座 第1巻第1話 緒方智子編②
前回、ジブリ作品と同じ物語の構造を使っているという話をしました。
智子は殺されて、霊界に行く。沙羅と出会う。誰も自分を守ってくれない状況に追い込まれる。手足が動かないので、逃げることもできない。自力で謎を解かなければ、生きて戻れない。
そういう状況になってはじめて、智子は戦うことを決意します。
逆にいうと、それまでは戦わなくてもよかった。逃げても、怠けても、言い訳して、それで許されていた。甘ったれていたし、甘えさせてもらえる環境にいた。
でも沙羅には甘えは通用しない。
智子は人として成長するために、一度死んで、沙羅と出会わなければならなかったともいえます。
ジブリ作品と異なるのは、智子はたった一人でそこにいるので、助けてくれる人がいないということです。彼女にはポニョもトトロもジジもいない。
でも、心のなかにはいます。
死んだ母です。たとえ亡くなっていても、母は彼女のなかに息づいています。
母が環境活動家として戦っていたのを、智子はその目で見ています。自分も母のように戦わなければならない。智子の背中を押すのは、その母の姿です。その意味で、亡き母がポニョやトトロの役割を果たしているといえます。
当初、決まっていたのは二つです。
まず、全体の枚数。原稿用紙百枚くらいにしようと思っていました。
序破急の三部構成で、「序」が殺されるまでの出来事。「破」で沙羅と出会って、事件の謎を解く。「急」で生き返ったあとの話を書く。
比率は2:3:1くらい。とすると、智子が殺されるまでの出来事は33枚程度におさめなければならない。
第二に、登場人物の数です。
登場人物は基本的に全員、容疑者になる決まりでした。だいたい四、五人程度。疑わしさの濃度をそろえるために、一人あたりの登場時間もなるべく一定にする。
たとえばA、B、C、Dの四人が登場人物として、全員が容疑者になるとすると、シーンの割り振りとしては、
シーン1 Aと会う(電話でもいい)。
シーン2 Bと会う。
シーン3 Cと会う。
シーン4 Dと会う。
シーン5 何者かに殺される。
33枚で五つのシーンなのだから、1シーンあたり6枚。そして五つのシーンのなかに、謎を解くために必要な情報はすべて、自然なかたちで落とし込まれていなければならない。それで「ちゃんと推理できる推理小説」にする。
あとは感覚で書いていったので、よく覚えていません。
第1話を書き終えたとき、「まあまあかな」と思ったのは覚えています。
むしろよく覚えているのは、第1巻の冒頭です。
実は最初はこうなっています。
閻魔大王。
それは人間の空想上のものではなく、実際に存在するもう一つの現実である。
人は死によって肉体と魂に分離され、魂のみ霊界へとやってくる。霊界の入り口にあるのが閻魔堂。ここには閻魔大王がいて、死者の生前の行いを審査し、天国行きか地獄行きかの審判を下す。
近年、地球における人口の爆発的増加により、審判を受ける魂の数が急増し、閻魔大王一人では裁ききれなくなった。そこで閻魔の血を受け継ぐ者なら、代理で審判をおこなえるようになった。
閻魔大王の娘、沙羅が代理を務めることもある。
彼女は、その日の気分次第で、閻魔家に伝わる死者復活の秘儀を使ってくれる。ただし条件が一つ。謎を解くこと。
制限時間は十分。情報は出そろっている。死者みずからが推理して謎を解くことができたら、彼女はその秘儀を使って、死の直前へと戻してくれる。
冒頭、ナレーションから入るのは、映画ではよく見られます。
このあとすぐ、智子が父親と喧嘩して家を飛び出すシーンに移ります。沙羅が登場するのは、智子が殺されたあと、物語の三分の一を過ぎてからです。
これに待ったをかけたのが、当時の担当編集者でした。
沙羅の登場が遅すぎるので、ナレーションをやめて、沙羅を冒頭に登場させてほしいということでした。
つまり沙羅の部屋で、智子が沙羅と向き合っているシーンからはじまる。沙羅が「あなたは死にました」と伝える。智子は唖然として放心状態になる。そこでいったん話は切れて、物語は智子が殺されるまえの出来事にカットバックされる。
ちなみにテレビドラマ版ではこのかたちになっています。
まず、もっとも魅力的なキャラクターである沙羅を冒頭に登場させて、読者を引きつける。たぶんそれがセオリーなのだと思います。
そのように書き直してほしいと言われたのですが、僕はNOと言いました。理由は、第一に小説家の本能として、時系列を崩したくない。カットバックによって時間経過が入れかわるのがいやだと。
第二に、この回の主人公はあくまで緒方智子であって、沙羅は狂言回しにすぎない。『となりのトトロ』の主人公がトトロではなく、サツキであるように。
この場合、主人公とは読者に感情移入してほしい対象を指します。だから智子視点で物語がはじまって、殺されて、沙羅と出会うという順番でいい。
だから変更しないと伝えました。すると、また連絡が来て、いや、絶対に変更してほしいと言われました。
この担当編集者も簡単には引き下がらない人でした。その主張も理解できなくはありません。ただ、僕にも言い分はあって、そもそもこの小説の文体は「実況中継的」ということを強く意識していました(これはいつか別の機会に話します)。それを考えると、やはり時系列は崩したくない。カットバックはNOでした。
僕も簡単には引き下がらない人間です。でも担当編集者は、絶対に冒頭に沙羅を出してくれという。
それで考えだした中間案が、第1巻の冒頭のかたちです。
イメージしたのは映画のCMです。
ちょうど見開き2ページの分量で、いわばこの小説のCMを冒頭に入れたらいいのではないかと思いました。
映画のCMで、最低限入れなければならない情報は三つです。
①主役は誰か。
②ジャンルはなにか。ミステリー、ホラー、サスペンス、青春学園もの、など。
③見たいと思わせるセールスポイント。
①は沙羅、②は推理ミステリー、③はちゃんと推理できる推理小説であること。
冒頭の見開き2ページのCMで、この三つの情報を必ず入れる。
あとは読んでもらえれば分かると思います。結果的に、このかたちでよくなったと思います。
このことから学んだのは、第一に創作において粘れば粘るほどよくなること(簡単に結論を出してはいけない)。第二に、編集者の指摘にはなるべく耳を傾けたほうがいいことです。
では、また次回。