木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第21回 映画講座 『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』①
前回、映画『母と暮せば』を取りあげました。ついでにもう一つ、山田洋次作品を紹介します。
山田洋次といえば、『男はつらいよ』。シリーズは全50回あって、それぞれによさがありますが、ここでは第17回の『寅次郎夕焼け小焼け』を挙げます。
なぜこの回を取りあげるのかというと、僕が小説を書くうえで、この映画を一つの雛形にしているからです。
シリーズ全話観ていますが、物語としての完成度はこの回が一番だと思う。
ただ、少し趣向がちがっています。通常回は寅次郎の失恋がテーマになることが多いですが、この回は男の友情がメインになっています。
ざっとあらすじを。
寅次郎(渥美清)が焼き鳥屋で飲んでいると、そこに酔っ払った老人(宇野重吉)がいる。老人は汚い身なりで、お金を持っておらず、無銭飲食で警察に連れていかれそうになる。寅次郎があわれんでお金を払い、実家の団子屋に連れて帰ってくる。
家族は大迷惑。不潔な老人が家に居座り、おまけに勝手にうなぎを食べてきて、その料金まで支払わされる始末。家族みんなで寅次郎に文句を言う。
だが、この老人。実は池ノ内青観という、大金持ちの日本画の大家だった。
寅次郎から苦情を聞いて、青観はとても申し訳なく思う。そこでさらさらっと絵を描いて、寅次郎に渡す。青観に言われた通り、それを神保町の古本屋に持っていくと、七万円で売れた。寅次郎は大喜びで家に戻るが、そのときには青観は帰ってしまっていた。
ここまでが第一幕です。
続いて、寅次郎の妹・さくら(倍賞千恵子)が、この七万円は受け取れないといって、青観の自宅に返しにいく。
寅次郎は旅に出る。その旅先の龍野で、偶然、青観と出会う。
青観はそこで接待攻勢を受けていた。青観の故郷であり、地元の名士であるため、青観を村おこしに利用したい行政職員からの接待である。
青観はこれがわずらわしくて仕方ない。そこで接待を受ける役を寅次郎にまかせる。寅次郎は青観の代わりに接待を受け、ぜいたく三昧の日々を送る。
寅次郎のおかげで、青観は暇ができる。そこで昔の恋人らしき女性のもとを訪ねる。想いあっていたのだが、何かの事情で結ばれることはなかった女性である。
二人の年齢を考えると、最後の逢瀬になるかもしれない。二人は何をするでもなく、ただ庭を見ているだけだけど、一緒の時間を過ごす。
ここまでが第二幕。
ふたたび寅次郎は、柴又の実家に戻る。そこに龍野で知り合った芸者の女性(太地喜和子)が訪ねてくる。
彼女はある男に200万円をだまし取られていた。寅次郎とその家族は、彼女の力になろうと奔走する。だが、相手の男に法的な返済義務はないため、泣き寝入りするしかない。
だが、それで黙っていられる寅次郎ではない。その男を殺してやろうかというくらいの勢いなのだが、それもできず、居ても立ってもいられなくなり、青観のもとを訪ねる。その芸者のために、絵を一枚、描いてくれないかと頼む。その絵を売って、お金を芸者にあげようと。
さすがにそんなむちゃな頼みは聞くわけにはいかない。プロの画家に対して無礼でもある。そもそも青観はその芸者のことをよく知らない。いくら寅次郎の頼みでも、それは無理だと断る。
すると寅次郎はかんかんに怒りだす。そのときのセリフがこう。
「これだけは言っておくけどな。初めて上野の焼き鳥屋で会ったとき、こんな大金持ちだとは思わなかったよ。いずれ身寄り頼りのねえ宿無しのじいさんだと思って、かわいそうだと思って一晩泊めてやろうと思って、俺のうちに連れていったんじゃねえか。もしあのまま気に入って、ずっといてえっていうんだったら、多少迷惑は辛抱しても、一ヵ月でも二ヵ月でも泊めてやってもいいと俺は思ったんだ。本当にそう思ったんだよ。それをなんだよ。働き者の芸者が大事に貯めた金、だまし取られて、悲しい思いしてるってのに、てめえ、これっぽっちも同情してねえじゃねえか。てめえみたいなやつ、こっちから付き合い断らぁ。二度とてめえのツラなんか見たかねえよ」
寅次郎にこう言われた青観は、しゅんとなる。そしてその芸者のために絵を描いて、送ってやることにする。
この映画のポイントは「動機」です。
なぜ青観は、寅次郎のむちゃな頼みを(一度は断るものの)聞いて、よく知らない芸者のためにわざわざ骨を折って、絵を描いてあげたのか。
その動機が、一本のストーリーラインのなかに全部落とし込まれている。これがすごくうまい。僕が雛形にしているのは、このうまさです。
第一に、寅次郎から受けた一宿一飯の恩。無銭飲食で警察に突きだされそうになった老人をあわれんで、代金を払ってくれたこと。そのうえ、自宅に連れて帰って泊めてくれたこと。
第二に、そのことで寅次郎もその家族も、偉そうにするわけでもない。迷惑だと思いながらも、知らない老人を家に泊めて、食事まで出してくれる。
第三に、さすがに申し訳ないと思って、一枚の絵を描いて寅次郎にあげた。それは七万円になったのだけど、これは受け取れないといって、さくらが律儀にお金を返しにきたこと。
このシーンは、一見すると必要ない(なくてもいい)ように見えるのだけど、あとでちゃんと意味を持ってきます。
第四に、龍野で寅次郎と出会い、接待を引き受けてくれたこと。おかげで暇ができて、昔の恋人に会うことができた。寅次郎は浮かれて接待を受けただけですが、結果的に寅次郎のおかげになっている。
この四つの流れで、青観は寅次郎とその家族のことが好きになっています。
寅次郎とその家族の行動には、欲とか私心がまったくありません。
老人がかわいそうだと思えば、自宅に泊めてあげる。芸者の女性がかわいそうだと思えば、みんなで力になってやろうとする。
ただ、ひたすら人情だけで動いています。そのことで恩着せがましい態度を取るわけでもありません。
対して、青観は龍野で豪華な接待を受けるのですが、こっちは青観が日本画の大家であり、村おこしに利用しようと思っての接待です。ごまをすって、あとで見返りを要求しようとするもの。寅次郎たちの行動原理とはまったくちがう。
ここも山田洋次のうまいところです。
寅次郎から受けた一宿一飯の恩と、龍野の行政職員から受ける接待とが、きれいに対比されています。この対比があることで、寅次郎の無欲と人情がより強調されるかたちになっています。
一、二、三、四とリズミカルにストーリーが運ばれて、青観が寅次郎を好きになっていく心理的な過程が見えやすい構成になっています。
そしていよいよ最終打に、先の寅次郎の長ゼリフが来る。
では、また次回。