木元哉多ゼミ〜推理作家の思考 第3回 小説講座 キャラクター①

    ここまで構想がまとまったら、とりあえず書いてみます。
    僕はこれを「探り」と呼んでいます。本当にいけそうか、冒頭(原稿用紙三十枚くらい)だけでも書いてみるということです。
    書きはじめて、内側からどんどんイメージがわいてくるなら、そのままゴールまでたどり着けます。途中でおもしろくないなと思ったら、やめてしまえばいい。
    構想段階ではよさそうに見えても、実際にやってみたらうまくいかないことはよくあります。あるいは構想段階では想定していなかった致命的な問題が見つかることもあります。
    ともかくやってみなければ分からない。
    このとき最初に書いた原稿は、質的にいまいちなので、そのままお蔵入りになっています。

    ただ、書いてみて、問題点はいくつか見つかりました。
    その最初の原稿では、沙羅ではなく、普通に閻魔大王が出てきます。一般的にイメージされるあの閻魔大王です。
    巨人で、顔が四角くて、まゆが吊りあがっている。あごが太くて、口が大きくて、「ガハハ」と大声で笑う。人間の骨を油で揚げて、かりんとうみたいにボリボリ食うくらい、歯が硬い。目力が強くて、恐ろしい顔をしている。
    年齢は中年くらい。
    そこに死者がやってくる。死者は自分が誰になぜ殺されたのか分からない。閻魔大王は「その謎を解いたら生き返らせてやってもいいぞ」と告げる。
    問題点は大きく二つありました。
    ①会話がちっとも弾まない。
    閻魔大王は中年の大魔王です。イメージでいうと、五十代の三船敏郎。むっつりしていて、酒を食らっている。虫の居所が悪く、いつも不機嫌な顔をしている。
    閻魔大王という立ち位置もあって、どうしても説教くさくなってしまいます。会話が弾むわけがない。
    ②死者を生き返らせる動機がはっきりしない。
    2019年調べで、日本における年間死者数は138万人。閻魔大王が裁くのは日本人だけとしても、一日に約3800人。一人の裁きに一分かかるとして、3800分。つまりおよそ63時間かかる。
    霊界と人間界の時間感覚がイコールではないとしても、膨大な事務作業になります。普通に考えれば、閻魔帳をざっと見て、天国か地獄にどんどん振り分けていくはずです。裁いて、判子を押して、裁いて、判子を押して。ベルトコンベア式の流れ作業にならざるをえない。
    そのベルトコンベアを止めて、死者と向き合い、あえて推理ゲームをさせて生き返らせる動機はなにか。
    かわいそう、は絶対に動機にならない。かわいそうな死に方をした人間なんて、それこそたくさんいます。いちいち生き返らせていたらきりがない。なにより人間に対してかわいそうなんていう感情を持つこと自体、閻魔大王らしくない。

    改善点を見つけて、試行錯誤して正解に近づいていく。小説を書くことも、それ以外の仕事も、根本は同じです。
    ①とりあえず書いてみる。
    ②「うーん、なんかちがうなあ」と問題点を見つける。
    ③何がちがうと感じるのか、そのポイントをはっきり言葉で把握する。言葉にすることで強く意識する。
    ④「じゃあ、こうしてみるか」と改善策を思いつく。
    ⑤それでうまくいけばよし。うまくいかなければ①に戻る。
    この作業をくりかえして、正解に近づいていく。起きている時間はずっとこのことばかり考えている状態になります。
    自問自答をくりかえす孤独な戦いです。
    ただ、これに関してはすぐに答えが見つかりました。
    閻魔大王ではなく、閻魔大王の娘にすればいい。

    たとえば、こう。閻魔大王が病気で、その娘が父の代理を務めていることにする。
    年齢は十代後半。まだ大人と呼べる年齢ではないから、そこまでの分別はない。死者の裁きは、閻魔の血が流れる者しかできない決まりなので、彼女は仕方なく父の代理を引き受けている。
    だが、父の仕事を押しつけられて、ふてくされているかもしれない。
    十代の女の子なら、おしゃべりだろう。僕が書きたいのは会話劇なので(これはまたいずれ話します)、沙羅にかぎらず、登場人物はよくしゃべります。閻魔大王よりは会話は弾むだろう。
    そして、肝心の死者を生き返らせる動機です。
    各話の主人公は、自分が誰になぜ殺されたのか分からない状態で霊界に来る。実際にそういうことはあるだろう。突然死なら、なぜ自分が死んだのか分からない。当然、その原因を知りたがるはずだ。
    しかし霊界には、死者が生前知らなかったことは教えてはならない決まりがあるとする。実際、いちいち説明していたら、時間を取られて業務に支障をきたすだろう。
    閻魔大王はもう中年である。何十年もこの仕事をしてきて、飽き飽きして、ベルトコンベア式の流れ作業になっている。
    でも、閻魔大王の娘はまだ若い。
    生き返らせる動機は、おもしろ半分かもしれない。こういう人間を生き返らせてみたらどうなるだろうというような、不純な動機かもしれない(たとえば、野に虎を放つみたいに)。死者に推理ゲームをさせて、高みの見物をしているだけかもしれない(ユーチューブのゲーム実況を見るみたいに)。あるいは人間に興味があって、何かの実験をしているのかもしれない。
    彼女なりに閻魔大王の仕事に理想を持っていて、そこに動機が隠されている可能性もある。彼女は好奇心も強いだろう。まだ若いので、閻魔のルールだってけろっと破るかもしれない。
    これだけでも広がりのあるキャラクターになる。その広がりから、多様な生き返らせる動機を引き出せそうだ。
    そしてその動機こそが、閻魔大王の娘のキャラクターを設定していくだろう。
    キャラクターを(たとえばツンデレみたいに)先に設定すると、たいてい見え透いたものになってしまいます。そうではなく、その広がりのなかから自然にキャラクターが定まっていくというのが、キャラクター造形としては正しい。
    これはキャラクター設定というより、むしろ物語上の立ち位置かもしれません。「役が人を作る」というように、与えられた物語上の役割のなかで、おのずとキャラクターが立ち現れていく。
    そこに作家がイマジネーションを吹き込むことで、キャラクターはおのずと動きだし、おのずとしゃべりだす。

    僕はじっと想像する。
    閻魔大王の娘がそこにいる。椅子に座って足を組んでいる。目の前に死者がいて、推理ゲームをさせられている。
    彼女はどんな服を着ているだろう。閻魔の公式ウエアがあるのだろうか。でも、彼女はそんな制服を好まないだろう。自分が着る服は自分で選びたいはずだ。「そんな制服を着なきゃいけないなら、パパの仕事の代理なんてやらない」とご機嫌を損ねてしまうはずだから、父親の閻魔大王だって好きなようにさせてやるしかない。
    彼女は自分が着たい服を、誰に気兼ねもなく着ている。いや、でもやっぱり閻魔なのだから、赤いマントくらいはしているだろう。この赤いマントは、血のように真っ赤だ。悪人の血で染めたことにしよう。悪逆無道の悪人どもの血だ。悪人の血は濃いから、きれいに染まるのだ。
    一年に一回、染めなおしていることにしよう。何千年ものあいだ、毎年、悪人どもの血で染められてきた赤いマント。もしかしたら織田信長の血だって入っているかもしれない。このマントを使って空を飛ぶことはできるだろうか。
    背中に赤いマントをはおった、閻魔大王の娘。彼女がこちらを見て、口を開く。どんな声をしていて、何をしゃべるだろう。
    では、また次回。


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