着物セラピー誕生話②
「着物セラピー」という言葉を思いついてから、プレゼン応募、ヒアリングと進んだ。
起業家のプレゼンに応募する
2017年の暮れ、父が亡くなった。その4日後がプレゼン応募の締め切り日だった。
どうしてもプレゼンには出たかった。父が亡くなった翌日に、母が圧迫骨折をし、動けない体になった。
しばらくの実家暮らしに、その後も自宅と実家の往復。
そんな中、プレゼンのための資料を作った。
応募者の中から登壇者に選ばれたが、動けなくなった母を自宅に引き取り、病院通い。さらには入院、とめまぐるしい環境の変化の中「着物セラピー」のプレゼンは出来上がった。
毎日、病院に向かう車中でプレゼン練習。
本当によく頑張っていたと思う。
全国にいきなさい
審査員長の方がおっしゃった言葉は、今でも鮮明に覚えている。
「小さくやっていたらそれで終わる。最初は小さくやっていて、いずれは全国に広げていってください。そのためにはきちんと利益を得ること。最初からボランティアでやっていたら続かなくなります。利益を得て、はじめてボランティアにいけるのです。」
ビジネスとして軌道にのったら、ボランティアになれる。
この経営感覚がなかった私は、『なるほど』と思ったものだった。
何らかの障がいのある方ってどういう方?
「着物セラピー」は障がいがあってもなくても健やかに育った我が子の晴れ姿を見たいと願う親の想いは一緒、というのが理念だ。
障がいのある方に特化したサービスというわけではなく、事実、障がいのない方の案件もいただいている。
ただ、何らかの障害があって、美容院に行けないとか、大勢の場には行けないとか、着付けやヘアメイクをすることにもその場に行くことにもハンデのある方たちというのは、やはり諦めているかはなから考えてもいないという現状があった。
そんな人たちにとって、駆け込み寺のような存在になれたらと思い、また「全国を目指す」がインプットされたため、本格的に事業として展開しようと思った。
思わぬ足踏みになった1年
この2018年は個人的に大変だった。母の骨折から始まり、入院、老人施設、自宅へ引き取る、実家の処分、さらなる骨折、とプライベートが大荒れで、起業3年目でホップステップの次のジャンプと飛躍しようと思っていた年だったのだが、なかなかそうはいかなかった。
養護施設の方にお話を伺いに行き、知的障がいを持つお子さんのいる方に会ってお話を伺いということをしていきながら、試行錯誤していった。
また、事業として全国を視野に入れていたため、法人を東京に作った(これは後に変更することになる)。
モデル撮影現場は幸せに包まれた
着付けは私、ヘアメイク・撮影は、旧知のお二人に頼み、夏にヒアリングさせていただいた方にモデルを依頼し、モデル撮影を行った。HPを作ってくれる方、読売新聞の地域記事の取材の方も入り和やかに進んだ。
全員が幸せな気持ちになった。邪気のない笑顔を見せるモデルのお嬢さんを見ていて、胸が熱くなった。
一人でも多くの必要としている方に届けようと新たに心に誓った。
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