追悼・吉澤暁子先生
大好きだった戦友、吉澤暁子先生が8/12未明にお亡くなりになりました。
迸るような情熱と、激しさ。
関西人特有のゴリゴリにまくし立てるような独特なしゃべり。強烈な押しの強さと気合と根性。有無を言わせぬ強さ。
どれもが彼女の魅力で、輝きでした。
遺影には凛とした輝きを放った先生の姿、そして最後まで果敢に戦って笑を浮かべた先生の最後の姿にお別れを言ってきました。
先生とはわたしがまだアメリカにいる頃からのお付き合いで、最初に吉澤先生が私のブログにコメントしてくださったことがはじまり。その後、お互いのブログを行き来したりしつつ、日本に帰って初めてのPOP UPに遊びにきてくれて、浴衣を買ってくださったのを覚えています。
その頃はまだカフェを経営されてて、これから着付けの先生としてのキャリアをスタート、そんな時期だったかと思います。
独立される前、当時のきもの六花さんの経営陣として、阪急で催事をされるときコラボのお誘いをいただいたのですが、「ゆきちゃん、一緒にどう?」との電話に、その場で「やります!」と間髪入れずお返事したら、「ちょっとくらい考えんでもええの?笑」「あっこさんから言われたら、断れるわけがないじゃないっすか!笑」と2人で笑い合ったのをよく覚えています。
このあっこねえさんのこのお声かけのおかげで、わたしたちKIMONO MODERNがその後、全国の有名百貨店に催事をしていくきっかけになりました。
2017年に試着専門店をオープンしたときも、レセプションにはこれなかったからと、雪の降るイブにほんとにたった3時間の滞在のためにお祝いに駆けつけてくれた。
100年に一度の寒波といわれた凍てつくNYCでのアルチザンのFashionweekでは、リハの後にやんや言いながら一緒に夜ご飯を食べたね。あの時のあっこねぇさんのクソ意地みたいな言葉のほとばしりを、いまでも懐かしく微笑ましく覚えています。
仕事のやり方や立ち位置は私とは全然違うタイプだったけど、なぜかいつも気にしてくれてたような気がします。ともに分野は違えど、がんばってるよきライバルだったり同志だったり、きっとそんな風に思っててくれたような気がします。
「ゆきちゃんは愛されキャラやから憎たらしいわぁ」
なんて言われてたけど、あっこさんには(誰も!!)かないませんっ、といつも清々しく見つめていました。
仕事だけじゃなく、プライベートも。
沢山話をしたね。なぜかプライベートなところはちょっとよく似ていて「わたしたち、こう見えても結構乙女やのになぁ」って。結婚式の振袖姿も、ほんとにとっても美しかった。
ずっと一緒に過ごしてきたわけじゃないけれど、この13年。 いろんなターニングポイントで、私たちはきっと、ともにいて。どこかなにかで繋がっていて。背中合わせに円陣組んで、それぞれの世界に向けて戦いを挑んできたのだよね。
強く凛として、誰にも媚びもせず、激しく。
豪快に駆け抜けたあっこねぇさん。ほんとにほんとに果敢に戦い抜かれたと、心から尊敬しています、そして心から、ありがとう。大好きでした。