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閑話休題 常体と敬体
おはようございます
着物推しの紅です。
まだ暗い時間なのですが、目が覚めてしまいました。
先日、仕事の打ち合わせをした方に桜の写真を送る約束を思い出しパソコンを開く。
〈 型をやぶる の巻 〉
子どもの頃は本を読むのが好きだった。
本と共に育ったと言ってもいいくらいに。
国語の授業でも
文法や誤字脱字、文脈を読み取ることは難なくできた。
先日書いたようにシナリオも学んだ。
パソコンが普及してブログというジャンルが現れて、
まさか紅が毎日記事を書くようになるなんて。
パソコンは仕事に使うので
かなり早い時期からネットショップを作ってみたり、
ショップブログを書いたりしていた。
本格的に書くようになったのは、カウンセラーの仕事を始めてから。
心の奥を見つめた世界を書いてみた。
毎日のように書いているうちに国語の授業で学んだ常体(である調)と敬体(ですます調)を固定して書くのは気持ちとズレるように感じて、ときどき型をやぶるようにしてみた。
ITネイティブにはわからないと思うけど、文を書くときに
紙と筆記用具を使う場合には
頭に浮かんだことを文字にするまでに時間がかかってしまう。
ちょっと「よそ行き」の文になる。
キーボードを打つときに出る言葉は
頭に浮かんだ言葉とタイムラグが少ない。
これって脳や文章に変化が出ないはずがない。
ある意味
熟考なしに浅はかなことを書いてしまうのかも。
あ、ネット荒らしとか誹謗中傷なんか・・・
紅の場合は
心の壁が現れる頻度と高さがあるので筆記用具で紙に書くうちに
想いが風に乗って吹き飛んでしまい、世間体に都合よく辻褄合わせになる。
わかりやすくいうと
考えすぎて書けない
だから
キーボドを叩くと
なので
常体と敬体が入り混じる文を書いても気にならないどころか
気分に合っている。
ただ、キーボードネイティブは熟考せずに文字を生む傾向が強いのかもしれないなと。これは研究の価値ありそう。
紅の課題ではないけど。
令和の日本がこれから迎える多死社会
これは避けて通れない課題のようだ。
人が死ぬことに向かい合わざるを得ない時代が目の前だ。
戦いではなく寿命で人が死んでいく。
それは自然なことなのに
ヒトはなぜか人工的に変えたがる。
宮本武蔵が遺した言葉
「死ぬことは 生きることと みつけたり」
ですよね。
先日、聞いた死の話は
「脳の出血でもう助からない」
と言われてから人工呼吸機をつけ10日。
生きながらえたというか、心臓が動いていたそうだ。
途中で人工呼吸機を外すと殺人になってしまうとか?
おかしいだろ
こんなこと書くとイカれてると思われそうだけど
熟考せずに書くが、医療関係の仕事は洗脳されていないとできない気がする。
「延命がよいことだ」
そんなことはない。
生きているうちに自分らしく、よりよく過ごすこと。
生きているうちにできることをしておくこと。
生きているうちに会っておくこと。
ふだんから死を考えない本人ではない人の心のざわめきや不意打ちに起こる打撃を受けとめるために
延命を続けるのは疑問だ。
たぶん、延命しなくてもそれはそれで周囲のヒトは受け容れていくだろう。
ずーっとずーっと続いてきたことだから。
正解はないけれど
正解に近いものはある。
今日を優しく生きること。
自分が自分を許せないことはしないこと。
ヒトは完璧ではないと知っていること。
今日の写真は縁あっていただいた
黒繻子の名古屋帯。
どんな歴史を語ってくれるのか楽しみ。 紅
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