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閑話休題 赤い存在として生きよう

おはようございます

着物推しの紅です。

昨日はガレージセールで着物を着ました。

道行く方にも着物を見ていただこうと思って。


〈 今日も着物を着よう! の巻 〉

毎週月曜に

ガレージセールをしている。

近郊の農家さんからの野菜をNPOのおじさんが届けてくれる。

それとガラクタを並べて売っている。

この冬 始めた炊き出しが好評。

野菜の到着が午後になるので開店は14時。


野菜が届いてから仕分けして値付けし、野菜を持って階段を上り降りする。

一定の時間がかかるし泥や虫にまみれるので着物は着たいけど難しい。

Gパンの上に羽織を着ていた。

先日着物をたくさん譲っていただいたのに触発されて、今年はもっと着物を着ようと決めた。


黒地に白抜きの唐草模様に菱形の朱色が繰り返される小紋。

時間がないので赤い半巾帯で貝の口に締める。

名前が紅なのでなるべくどこかに赤が入っているものを着るように心がけている。


昔の日本では赤は特別な色だったらしく

着物を分類するときに

「赤無し」

という言い方をすることがある。

推測だけど

能衣裳などはキャラクターによる衣装は赤が入るかどうかで年齢や性格が決まるらしい。


赤は鮮烈な色だから

江戸時代のような

色が氾濫していない時代には

紅花から染められる赤は特別扱いの色だったに違いない。

政治思想を表す色でもあり

緋色は魔女狩りや不義を表す色としても使われてきたスリリングな色でもある。

紅は口紅の代名詞でもある。

ドラマティック


紅の周りにいる方々がどのように紅のことを思ってくださっているのか知るチャンスはあんまりない。

困った時に思い浮かぶ顔みたいだと感じることはある。

体を壊した時に思い出していただいていたこともあった。

「そんな間柄だったっけ?」

という方から見舞いに来て欲しい、死者と対面して欲しいと声がかかることもある。


気づかなかった。

誰かの人生の道端に 木の実のように佇んでいる紅。

っていうイメージ。


家族や恋人やアイドルではなくて

人生に無いよりもあったほうがいいかもっていう紅い道標。


死を前にした友人から届いたメールに

紅は心の支えに少しでもなれていたんだなと気づく。

そんなふうに思ってくれていたとは知らなかった。


そんなふうに思ってくれて

死を前にして紅をちょっぴり拠り所にしてくれた友人がいたことに感謝している。

今までやってきたことでいいんだ。

これからもそうありたい。


死が訪れたときに 赤い実が浮かぶことでちょっとでも人生を肯定できる。

人生に赤があった

そう思いながら逝く。

その赤は、この紅=私ではなく たぶんその方ご本人の中にあるパッションの形代(かたしろ)。


たった一人の誰かが、人生の全てになってしまって

それを愛だというのなら

非日常のまま人生を終えてしまう。

それはとても辛いことなのかもしれない。


人生は自分自身のものであり、たった一人の人に占められるものではない。

それを忘れてしまうほどの愛着は自らを苦しめるってことなんだろうか。

恋は盲目という金言があったが

その通りなんだろう。

親の溺愛も。


でも

恋も親も期間限定だと長年生きていれば知っている。


人生に散りばめられた様々な色

辿りながら迎える死

紅の死の床に

あなたはどんな色で現れるのでしょう?


どんな色でもいいから

出会えたことを楽しめる人との時間を大切にしていこう!


今日の写真も

和装婚礼

新郎新婦の正座の撮影。

お二人の門出に出会えて本当に嬉しいです。  紅










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