どうしたら 着物の看板が生まれるんだろう? 参
おはようございます
着物推しの紅です。
ノートパソコンに変えてからひと月半くらいになりますが、
モニターの角度を変えると見やすくなることに
今、気づきました。
〈 看板業者さんを探し始めました の巻 〉
昨日は
「今日やること」
書き出したメモのタスクがはかどった。
紅の嫌いなお掃除系も2つあったけどなんとかクリア。
リビング掃除をしてコタツを据えた。
薄手の敷布団を敷いて、ビニールシートで覆いその上に冬用の起毛のベッドシートを敷いてコタツを置く。
なんだか暑い日で、コタツ布団は
「明日にしよう」
出現した起毛シートを見て
猫のリンがやってきた。
「タラがいない!」
昨年の今頃はまだいたんだ。
起毛シートの定位置で。
すでに寝てばかりいたっけ。
悲しい気持ちがちょっとだけ。
紅の感情はなかなか動かない。
昨年の冬に
22歳を前に老衰で死んでしまった ばあちゃん猫。
彼女がいない事実を
12歳のリンと再確認した。
彼女が死んでしまったあと夢を見た。
「仕事が人と人をつなぐんだ」
って起業で悩んでいた紅に教えてくれた。
人は仕事をするからこそ人と繋がれる。
仕事はお金をもらうためだけではなく
人をつなぐんだ。
そこでは人と人は対等なんだと
彼女は言いたかったんだと思う。
本当にかわいいいい子だった。
災害援助やボランティアも大切なことだけど
非日常の関係は
対等にはなりにくい。
紅はボランティア団体に20年所属して対人援助をしていた。
だからボランティアをする人の気持ちってわかる。
メサイアコンプレックスに陥っているケースをたくさん見てきた。
ボランティアするからって人徳者ではなく
自分の存在意義を探している人は多い。
コロナを機にやめたのは、全部持ち出しのこの団体の活動が紅にとって経済的にキツくなったことをやっと自覚できたから。
自分が立てなければ、本当の意味での人助けはできない。
それに力を尽くすなら
身近な人を優先したい。
ピンポーン!
たまたまモニターの前にいたんだけど人影が誰だかはわからない。
少し間を置いて
「はい」
って出ると、女性の声
「帯持ってきました」
急いで冷蔵庫から万願寺とうがらしと里芋の親芋を持ってさつま芋の入ったお盆にのせた。
部屋にマスクをとりに行って玄関にでると
2、3度ガレージセールで見かけたことのあるお姉さん。
七五三の作り帯を持ってきてくれた。
門の前でちょと立ち話。
地域の活動をされていたそうでお顔が広いらしい。
野菜を嬉しそうに受け取ってくださった。
人生が舞台だとしたら
登場人物って
縁があるし意味がある。
それを大事にするか粗末にするかで
舞台の面白さが違うんだろう。
出会う人に優しく接することができれば人生に争いはない。
人をあげつらい、批判ばかりして、不平不満を垂れ流していると
その舞台は見られたもんじゃない。
全ては人の意識の中でのみ起こっている出来事だとしたら
同じ空間にいるようでも
人それぞれに
パラレルワールドを生きているのかもしれない。
紅の看板は
優しく強く、悲しく可愛く、争わず楽しむ人たちの心に届く
できれば刺さる
ものにしたい。
西野亮廣氏のいう
「キャラ経済」
のアレンジバージョン?
同じことを言い換えているだけなのかもしれない。
お客様のキャラを限定するってこと。
ん!
これがオンラインサロンってことなのね。
どういう看板になるんだろう?
つまり
優しく強く、悲しく可愛く、争わず楽しむ
看板屋さんを探すってことなのね。
今日の写真も名古屋帯。
紬地に
椿の花の濡れ描き
素敵なんだけどなかなか締めにくいかも。 紅