今の着物の基本スタイルが整ったのは江戸時代後期なのです
襟(衣紋)を抜いて、おはしょりを作って
という今の着物スタイルが大体出来上がったのは
いつ頃か、ご存じでしょうか。
実は江戸時代。八代将軍吉宗の頃の事です。
平安時代以降、
女性の髪形は垂れ髪と言って、
結いあげていませんでした。
着物の形も、鎌倉時代以降は今の形とは違って
身幅(横幅)が広い対丈(※)の小袖(着物)
を、ゆるーっと身にまとう感じでした。
身分の高い武家の女性はその上に打掛姿です。
帯も今よりずっと細い物を、腰の辺りで簡単に
結んでいました。
今で言う腰紐の様な存在だったのです。
織田信長や豊臣秀吉の時代の女性、
お市の方や淀の方、北の政所(ねね)などの衣装
と言えば分かりやすいでしょうか?
江戸時代に入る頃から
髷(まげ)などの結いあげる髪型が生み出され、
次第に襟を抜く様になってゆきます。
帯はどんどん華やかに、長く幅広くなって
装飾の色を強めてゆき、
江戸時代後期・1800年頃に、
長く太くなった帯の結びが緩まない様に
帯締めが生まれます。
江戸時代初期には対丈(※)だった小袖の裾は
どんどん長くなり、
屋内では「お引きずり」をするように
なって行きます。
そして、屋内で引きずって着ている着物の裾を、
外出時に汚さない様に抱え帯(かかえおび)で
からげたことが、おはしょりの始まり。
お太鼓結びの誕生は、江戸時代後期の1813年。
亀戸天神の太鼓橋が再建されたお祝いに
考案されたと言われています。
帯揚げもその時考案されたのではないか、
と言われていますが、
一般的に使われる様になったのは
明治に入ってからと考えられています。
最初からおはしょりを作る着方もお太鼓結びも、
一般的になったのは、こちらも明治時代に
入ってから、と言われています。
今私達が知っている着物姿の原型は江戸の後期、
約200年前にやっと成立し、150年程前の
明治に入ってから整ったもので、
意外に最近の事なのですね。
※対丈(ついたけ)とは、マキシ丈の、くるぶし位の長さ。身丈と同じ長さである事。
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