運針について
運ぶ針と書いて「運針(うんしん)」
小学館発行の国語辞典によると「裁縫のはりのはこび方」と説明してある。
死語になって無く
まだ国語辞典に掲載されていて良かったと思うこの頃である。
「裁縫」をGoogleで検索すると「wikipedia(写真出典元)」によると
布などを裁ち(裁断)縫う(縫合)こと。手芸のうち針と糸などを使って布を縫い
衣服などを制作する行為(広義の家事)。縫いもの、針仕事ともいう。マジックペンの使用や
布を縛ることも裁縫の一部として知られている。と書かれている。
私が運針への定義は一言も書いていない。
ではなぜ「運針は日本の文化である」と言いたいか?
この度作成した運針動画を見て頂けたら「世界に一つしかない指の使い方&針の運び方」
これが日本の日本人による進化した針の使い方だからです。
私が10歳の時(今から57年前)母が着物を解いて筋消しして着物を縫い直してる姿で
一番印象に残ったのが縫い方の運針である。
当時はまだまだミシンが主流でない時代
ようやく洗濯機が出てきて絞り方が手動の時代
東芝の自動炊飯器が~象印(象さんマーク)の電気ポット第一号時代の頃である。
とにかく母の縫い方は速かった。すごい長さ(150㎝をあっという間に縫っちゃう)訳です。
母にお願いして針(3ノ2の木綿針と木綿布と指ぬき)準備してもらい
学校から帰るととにかく無心にひたすら縫った。しかしうまく縫えない。
悔しくて放り投げた。
すると母が「そんなに簡単に出来ないよ~母ちゃんだって泣きながら覚えたんだよ~)と!
10歳ですでに手は(指も)大きかった。
数か月たったころ「運針は母より上手になってた」
その後母はブラザーミシンを購入してミシン一本で洋服つくりに夢中になったが、
母がミシン準備して縫う間に、私は150㎝をあっという間に縫うわけです。
ミシンより早い。
勿論生地の種類も用途も違う。
子供時代に身に付けた運針は
最初雑巾縫うのもより早く・・・・学校の浴衣の実技も友人たちの7~8枚縫ってしまい
家庭科の先生に怒られてしまった記憶。
とにかく当時すでに「自活概念が強く」
「よし着物を縫ってこれを生涯の仕事にしようと決めた」て現在に至るのですが
運針は深い
運針は精神統一に向いてる。
無心になるには運針です。
座禅の精神又は写経の精神(友人曰く)でしょう。
着物と運針の関係性に付いては改めて書きますが
いずれせよ
「日本の文化である運針」を後世の日本人及び世界に知ってもらう為
きもの語り部と共に切り離せない運針も語り部として伝えて行こうと考えています。
運針及び着物を縫う為の小道具ですが
「着物を縫う座る女性」「歌川国芳作」19世紀初頭の絵にすでに
描かれていたのである。
一つ一つが過去のものにならない様に運針文化を広めたい想いです。
小道具の中で「針の進化は」日本が世界一ですね
テルモの痛くない針は「着物の絹針の進化した技術で」世界では有名ですよね
数百年の及ぶ着物の生地及び小道具が日本の現在を支えて来た事を私たちはもう一度振り返り
先人のすばらしさ受け継いだ技術を忘れずに(一人でも多く)
思い出す事が出来たら運針YouTube作成は成功だと言えるのですが。
これからNoteの書き方や伝え方も
努力して参ります。
皆様のお力や感想があるとより嬉しいのですが。。。。。
あ!
トヨタの創業者「豊田佐吉氏」元々は絹の自動織機を発明工夫し
多くのシルク生地を西洋に輸出しただけでなく、機織の横糸に使う「杼(ひ)」という道具が
その後の車産業に大きく貢献し発展していく訳ですが・・・・・
いずれも現代は「Google検索」でわかることも多いが、運針の様に歴史から埋もれてしまってる
文化もあることを知って頂きたいのです。
まずは簡単に運針出来たら私は何も申しません・・・・・
出来なくてもよい・・・ではなく・・・ぜひ挑戦して頂けたら
ではまた次回お会いしましょう。
2024/09/20/東洋のパリ(旧サイゴン)ベトナムより
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