欅坂46『夏の全国アリーナツアー2019 追加公演 in 東京ドーム』 考察
はじめに。
この投稿は主観を多分に含むので、あくまで一個人の見解として目を通して頂けたら幸いです。
素晴らしい夜から一夜明け。
明け方、自分の中で一つの答えに辿り着いた。
be yourselfの意味は自分らしく。
グッズにもあるように、東京ドーム公演のインナーテーマが「自分らしく」である事は明白。
東京ドーム公演を終えた今、それが何を意味していたのか、東京ドーム公演を象徴した〝ガラスを割れ、不協和音、角を曲がる〟の三曲と絡め改めて考えみた。
開幕〝ガラスを割れ〟で始まった公演。
「お前はもっと自由でいい」という叫びは、be yourselfを象徴するに相応しい。
楽曲の爆発力も相まって、凄まじい熱気に帯びたライブの始まりとなった。
欅坂46はアイドルという自由とはかけ離れた立場でありながら、相反するメッセージを投げかけ続けている。
それはサイレントマジョリティーから通して一貫している欅坂のアイデンティティでもある。
大人達にコントロールされる事はアイドルとしての宿命でありながら、「大人たちに支配されるな」と歌うのは、自己矛盾と戦う命題を背負わされた彼女達の存在を意味を象徴している。
そして〝ガラスを割れ〟においても、アイドルである限り自由になれるはずもない彼女達が、「お前はもっと自由でいい」と歌うのは自己矛盾と、それに伴う二律背反なのである。
そして、欅坂46を語る上で欠かせない楽曲の一つである〝不協和音〟が数年ぶりに解き放たれたのも、きっと相応の意味があったに違いない。
「自由はいけないことか」とあるように、この楽曲では自由である事への軋轢を歌っている。
それでも「意思を貫け」と高らかに歌い上げる事が、今思うと大きなフラグになっていたように感じる。
こうして劇的に終わったかと思われたアンコールの後、一人で現れた平手の姿は、これまでの歌詞中の主人公ではなく、極めてシンプルな制服を纏った一人の女の子のように見えた。
そして始まった最後の曲が〝角を曲がる〟である。
正直、黒い羊を期待していた自分は、歌が始まるまで脳内のクエスチョンが消えなかった。
しかし欅坂46のライブで最後の曲が何故この曲じゃなきゃいけなかったのかは、彼女がその姿をもって伝えてくれた気がした。
「自分らしく」を掲げたライブの最後に、自分らしさとは?と歌っているのが〝角を曲がる〟なのだ。
つまり、ライブ自体が大きな自己矛盾であり二律背反なのである。
自分らしくありたい、だけど自分らしくって何?、極めて人間的な感情の揺らぎを、彼女は一人きりで5万人の観客に語りかけ、〝ガラスを割れ〟で鮮烈に始まったライブは、〝角を曲がる〟で叙情的に幕を閉じた。
人の心は本来常に孤独であり、孤独である事が人なのである。
その人たらしめる弱さを、あえて一人で表現する事で、欅坂46のアイデンティティを逆に際立たせように感じた。
それにどんな意味があるのか、彼女自身の口で語られない限り、本当の正解には辿り着けないだろう。
しかし、あの弱々しくも儚げに見えた平手の表情が、3年間常人では考えられない程に心をすり減らし続けてきた、本来の〔自分らしい平手友梨奈〕だったのかもしれない。