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かいつまむ(要約)ための第一歩は?

かいつまみたい

今回は、「要約」をする際に、一つ意識をしておくといいかも、という話題を。

とある状況を想像して欲しい。

映画館で映画を楽しんだあなたに取材が。マイクをあなたに差し向けたレポーターがこう問いかけた。

今しがたご覧になった映画、3分に収まる感想を頂けますか?

「主人公とヒロインの別れで、涙腺崩壊しました!」とか「わかっているのに、怖い!」とか・・・(3分ってのは案外長い?としても)まぁ、それほど難しくはないかな?

では、また別の状況で。

やはり映画館で映画を楽しんだあなたに取材が。マイクをあなたに差し向けたレポーターがこう問いかけた。

今しがたご覧になった映画、3分に収まる要約を頂けますか?

これは案外、「できる・できない」が分かれるのじゃないかな?と思う。今の教育現場がどうなってるかわからないけど、少なくとも僕は小さい頃から、学校で「要約をすること」って、あまりやった記憶がない。せいぜい、国語のテストでちょこちょこっとやったぐらいかな?それに対して、感想を述べることは印象に強く残ってる。ほら、読書感想文。

読書感想文の文化

夏休みなんか典型的だよね。「課題図書」なんて形で、小学校の各学年の国語力に合わせた本を何冊か選んでくれてて。そこから一冊を選んで、読み、感想を書く、というもの。

これ自体は悪いと思わない。「エルマーとりゅう」とか「きみはダックス先生がきらいか」とか、本との出会いのきっかけになったと思う人も、多いと思う。

ただ、残念なのは、そこ(感想)で終わってしまったこと。

ひょっとしたら「感想文の書き方」なんて授業を僕もどこかで受けていて、その指導に「まずは読んだ本のあらすじ(要約)を記し、そこからおもむろに感想を広げていくべし」なんてこと、あったかもしれない。

けど、残念だけど、そこ(感想)で終わっていたんだ。

大人になった途端

そんな感想文の文化で育った人、沢山いる、と、勝手に決めつけておく。じゃないとこの記事、先に進むことできないから(笑)

感想を求められたから、それを書いてきたのに、学校を出て社会に出ると、途端に、「事実をかいつまんで話せ」的な要約を求められる・・・そんなこと、ない?

社会に出たあたりからこの「感想」は「意見」とか「所感」とか、そんな風味の表現に変わってくるかな。

映画にせよ、本にせよ、参加したミーティングにせよ、そこで起きた事柄を要約することの能力の方が、感想を述べることの能力よりも、重要視されるようになるのだよね。

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