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学ぶ楽しさと育児ノイローゼと 「ことのは」の一年

・・・と、その前に、育児ノイローゼとは?

こんな投稿を見た

SNS で育児に悩む投稿を見た。思ったとおりに進まない自身の生活に、泣きわめく子ども、文面を見ると「えーそんなことしちゃうの言っちゃうの」と(ガツンと言いがちな喜餅ですら)思ってしまったというね。

子どもの世界は親が全てなのだけど、親は大人であり子ども以外にも仕事やらなんやらと別の世界があって。

真面目な方ほど、組まれた予定がうまくいかないとイラッとするよね、きっと。

そして、ちゃんと子育て(ってか、ここでいう「ちゃんと」こそ、全く定義できないけども)したにも関わらず、ちゃんと育たない、私はちゃんと頑張ってるのに!という辛さもあるみたいで。

喜餅の妹も、一人目はすごく神経質に接してた。「ちゃんと」に対して全力でぶつかってた。二人目は慣れたのか、良い意味で「いい加減」にあたってたように思う。ガリガリくんを一人目にあげようとしたら「そんなのあげないで!」って叱られたのだけど、二人目の時には「お兄さん、ガリガリくんご馳走してよ」とのたまった。

そんな甥っ子・姪っ子ちゃんも一人目(甥っ子)は高校受験で。妹は、今でも親であることには変わりないけれど、「育児」という「点」だけで見ると辛かったフェーズはひと段落・・・でも、今は良い思い出だし、学びはあったみたいだ。

育児まではいかないけれど、喜餅も育犬ノイローゼみたいな感じなのはあった。柴犬・おはぎが全く言うことを聞かなくて。ちゃんとやってるのに。うまくいかないフラストレーションを、おはぎにぶつけそうにもなったね。

問題が目の前に横たわっていて、今まさに立ち向かっている人ってのは、話を聞く余裕はないよね、なんて話。

「ちゃんとやってって、簡単に言わないで!」なんて思う方達、少なくないのではというね。

さて、ではでは、ことのはトーストマスターズクラブの一年を振り返る。

6月30日 一年お疲れ様でした!

個人としての一年

トーストマスターズクラブの一年が終わった。自分の会社も六末決算のため、6月30日は自分にとっては感慨深い日になってる。

現在、オンラインも含めて3つのトーストマスターズクラブに所属していて、とりわけ「ことのはトーストマスターズクラブ」は自分が創ったクラブであり、今期は会長をさせてもらったということもあり、気合いの入った一年(?)になったかな。

こんなコンセプトで一年を過ごしたよ。

「昨日の自分より10%成長しつつ、楽しむ」ということ、どんな分野で10%の成長をするかはメンバー各自が考えること、毎回のミーティングで毎回成長しようとする部分を最初に宣言すること・・・なんて感じでやってた。

イチ個人としては、楽しく一年を過ごすことができたよ。本当はちゃんと「準備」をして臨むことに意味のある「準備スピーチ」については、ほぼその全てが準備できず(厳密に言えば脳内での準備はして臨んでいたのだけど、一度活字に吐き出して推敲&稽古するのとしないのとでは、彼方ほどの違いがある)に臨んでいたけれど、楽しみと学びのあった一年だった。

オンラインのクラブにも2つ、所属してて。カナダとアメリカにそれぞれ。参加率はちょっと低かったけれど、やはり入ってよかった。

トーストマスターズって上下関係はないけれど、どうしても違いは出てくる。偉い・偉くないという価値基準ではなく、色々な観点で。その最もわかりやすい基準が言語だよね。母語のメンバーの集まりに第二言語のメンバーが飛び込む。

2015年の入会時のガムシャラな感じを思い出すことができてる。ラジオでDJ(まさしくディスクジョッキーね)を長年やってた方(今はおじいちゃんになってるよ)とか、韻を踏んだフレージングとか普通に盛り込む謎のメンバーとか、多彩。

ちょっと脱線するけどさ、「話す」って行為も筋肉が必要じゃない?年配者という立場になってもハリのある響く声を出し続ける(=その筋肉を維持し続ける)のって、尊敬だよね。

まぁ、そんな感じで、楽しく過ごせた一年だったよ。

ことのはというチームとしての一年

在籍メンバー数という結果で言えば、入れ替えはあれど「8名」という、維持で終わった一年だったね。

登録が8名で、月2回の例会に参加できるのは3~4名という状態。

なんとかして2~3本のスピーチを揃えたいから、スピーチを2本やったりすることもあるね。

PRやクラブ運営に色々と粗はあるけれど、愛知県という県民性、日本語という使用言語といった要素と苦闘してるというのが、渦中にいる印象かなぁ。

「解散」ということも考えた

この記事でも述べたように、クラブ運営が成り立たない状態においては、クラブの合併などもやむなしかなと思っていて。

愛知県には8つクラブがあるのだけれど、実際に理想的な例会運営(ここでイメージしてるのは、スピーチ4本を安定して準備できる環境)ができているクラブは何個あるのだろうという状態。

コンテストや役員研修といったクラブ外のイベントに、人が集まらない。クラブ外のイベントを取り仕切るエリア・ディレクターをやってくれる人も、いない。

「愛知県に2つエリアがあるのって、無機質に8つクラブがあるからでしょう?でもさ、実質は4クラブでしょう?現状、稼働してるのって」というのが喜餅の見立て。

頑張ってるメンバーが疲弊する前に、なんとかしないとって感じ。

だから一瞬、7月から始まる新しい一年にエリア・ディレクターになって、自分のエリアと隣のエリアのクラブをまわって「もう、減らしません?」って話をしてもいいかなと思ってたのだよね。

「ことのはも閉じますから。どうですか?」みたいな。

この辺り、ボランティア団体の難しいところだよねぇ。誰も大ナタを振るえない。でも大ナタを振るわないと、今、頑張ってる人達が疲れちゃってやめちゃう。

・・・なんてことを避けたいなとね。

「逆ピラミッド」を標榜している(クラブが一番上)が故に生じる金属疲労、なんとかしないとな状態・・・と、勝手に思ってて。

解散とかそういった決断は、ファウンダーの自分しか下せない決断だしね。

「ことのは」を癒しとするメンバーの存在

・・・で、7月1日を迎えた。

喜餅はエリア・ディレクターには、なっていない。

ことのはトーストマスターズクラブも、解散への道程を歩んではいない。

それは、現メンバーの一言で、雲散霧消した。

「ささくれだった職場で精神がやられそうになるが、ここで癒されている」という発言を受け、「場所を取り上げる訳には、いかないな」と。

7月1日からは、喜餅は副会長教育担当(VPE)・・・といっても、実質は会長のような動きをする。そしてPR活動については、在籍メンバー・・・忙しくて例会に参加できないメンバーも巻き込んで取り組む流れを作った。

再び、育児ノイローゼの話題

前提として

前もって言っておかないといけない。

これから話す話題は、とりわけ特定の個人(の発言)に深いつながりがある。

その人の発言に対しての僻みともとれる感情をぶつけることになってしまう。その点、許してほしい。

その人とは10年以上の付き合いがあって、すごく親しくさせてもらってる。人格の否定とかそんなレベルの話ではなく、あくまでも発言(と、そこに横たわる考え)に対しての感情、ね。

発言された場所で真っ向からぶつからなかった(発言してるトコにコメントを残すといった感じね)のは、その人がリーダーとして盛り上げてる空気感を損ないたくなかったから。だって単なる僻みが根っこになってる重箱の隅をつつく感情だからね。

まぁ、その人とは直接会って話す機会も沢山あるし、メッセンジャーなどでもやりとりすることもあるから、こじれるなんてことはないと信じたい。

では、進める。

「ちゃんとやる」の呪縛

自分で自分の感情にツッコミを入れてた。

よく話題になる。「妊娠しました!」なんて嬉しい投稿をすると、「妊娠できずに苦労してるんだこっちは!」的な感情の発露が起きる。

妊娠した方は、純粋な喜びを出したかっただけなのに、ね。

そんな感じ。

あ、違うかな。メンバーが順調に増えてるクラブを見ても、「こっちは苦労してるんだ!」なんて感情は、1ミリも起きない。純粋に「おめでとう!凄いよね!」と思う。

育児ノイローゼを例に出したのは、「ちゃんとやる」の箇所だ。

ずっと目にしてた「ちゃんとやってればメンバーは集まる」というもの。

反対解釈は「ちゃんとやってないからメンバーが集まらない」のか?というもの。ことのは、メンバー集まってないからね。

大体、「ちゃんとやる」ってなんだよ。精神論?

実際には、「ちゃんとやる」というフラグ(テーマ・コンセプト)を立てて、その「ちゃんとやる」のベクトルはこういったものだよ・・・というのは、わかる。

PRにおける留意点であったり、見学者がいる場合の対応であったり、スピーチの質であったり論評(フィードバック)の質であったり。

いわば、ゴールのない改善というチャレンジをし続けるというもの。

改善には、終わりがないからね。

でも、ごめん、この「ちゃんとやる」という言葉を目にするたびに、結果を出せてない自分を対比させ、「キツいなぁ~」と思ってた。

ことのはの「解散」というオプションは、ひょっとしたらそんな呪縛から逃げ出したいという自分の隠れた願望だったのかもしれないくらい。

いったい、何と戦ってるんだ?

毎回の例会で複数スピーチをやり、司会だってなんだって人がいないからやってて、これ以上何を「ちゃんとやる」必要があるんだ?

実際にはホームページの整備とか、勧誘メールとか、改善の余地なんていくらでもあるのだけどね。

この辺りが、一種の育児ノイローゼのような感じですよ。

いったいぜんたい、自分は何と戦ってるんだ?なんて思ったりね。

精神という樹の根っこには、楽しいとかワクワクといったものがあって、それがあるからこそタフな状況でも工夫して乗り切る・乗り越える・やり過ごすことができるのだと思うのだけど、よくわからない状態だったね。

「見とけよ」というパワーに変えて進むのも、「それって何と戦ってるの?」だしね。元々が反骨心で生きてきたけれど、そればかりじゃさ。

もっと深みというか、ギスギスしてないというか、遊び心で膨らませる要素を伸ばしたいのよ、個人的には。

やらないと、変わらない

自分は勤め人ではない。だから、挑戦し続けないと、収入は途絶える。ぶーたれる(文句を言う・泣き言をいう)ことをしてたって、雛が口を開けてたら親がエサを持ってきてくれるように誰かが仕事をまわしてくれる訳じゃない。

この件だって、同じ。やらないと、変わらない。

わかっているからこそ、フラストレーションなんだよね。

子どもに対して「私、ダメだ・・・」としょげたり、「あんたはね!」と感情をぶつけてしまう状態にある方達も、わかってるはずなんだよね。

わかってるからこそ、フラストレーションなんだよ。

実際には、同じことをやってる

まぁ現実はさ、実際はさ、喜餅だって同じような発言をしてるんだよ。

たとえば英語にまつわる試験や検定、TOEIC とか英検とかね、そういったものに対しても「普通に英語に接してたら点数は伸びる」みたいなこと言ってる。

いわゆる試験対策的な英語の習得をしている方達からすると「普通ってなんだよ」だからね(笑)

メンバーに救われたのかもね

脱・気張る

そんな「誰と戦ってるんだ?」「何と戦ってるんだ?」状態な「ことのはトーストマスターズクラブにおける喜餅」だったのだけれど、さっき話題にしたメンバーに救われたかもね。

もちろん、このままじゃいけなくて、もっともっとメンバーを増やさないと例会が充実した内容にならないからね。

現在、ほとんど置いてない「あーカウンター」や「文法係」といった役割をこなすことで得る経験・意味とか、もっともっと味わってもらいたい。

だから、メンバーは増やさないと。

けれど、その結果を出すことに対して必要以上に「気張る」ことはしなくてもいいかなと。

自分自身が「ことのは」に参加することで得る学びを感じなくなってしまうような、そんなことだと本末転倒だからね。

内向き・外向き・・・今は「内向き」

誤解を招く言い方になっちゃうけど、「トーストマスターズに寄り過ぎない」フェーズにしたい。

学びはめちゃくちゃあるし、やめる気なんて1ミリもないけれど、この世界だけのような過ごし方は不健康だと思ってる。

もうちょっと違う世界に足を踏み入れたいという気持ち。

そして、もう少し「個」の部分の磨きに注力したい。エリア・ディレクターやディヴィジョン・ディレクターといった「集団」を磨く部分ではなく、自身の内側に目を向ける。
(誰だよエリア・ディレクターになって・・・なんて言ってたやつは)

この note 記事でもトーストマスターズ関連の記事が減るぐらいの、そんな感じの生活になるといいのかな。
(いやー絶対に次に投稿する記事もトーストマスターズ関連だと思うわ 笑)

7月1日から始まる新しい一年は、ことのはメンバーにおんぶに抱っこで楽しもうと思ってます!




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