Chubbyは童顔って訳そうぜ
あけましておめでとうございます。
皆様どうお過ごしでしょうか。
アメリカに来ての新年早々思想の話です。
(そんなに重いもんじゃないけど)。
さて、皆様Chubby(チャビー)という単語をご存じでしょうか。
この単語、直訳すると「ふくよか」とか「ぽっちゃりしている」という意味です。赤ちゃんや子犬などぽちゃぽちゃしていてかわいいものに大体は誉め言葉として使われます。
太ってるのか、でもかわいいのか、誉め言葉なのか、でも全くうれしくないな、という複雑な単語だと感じるのです。
私がこの単語を知っているのは、調べたからでもなんでもなくてそう言われたことがあるから。
事の発端は中学二年生の時、フィリピン人のお友達のお母様にChubby girlといわれたこと。といっても直接言われたんじゃなくて、体育祭で彼女がお母さんに私を紹介したかったらしくて、遠目に競技をやっている私を教えたんでしょう。
んでもっておせっかいにも私に「chubby girl」って言ってたよなんてニコニコ教えてくれたんですよね。本当におせっかいに。
そりゃ今も当時も痩せちゃいない自覚はあるが、決して太ってはいなかったのです。BMI的にも健康体重の範囲内で値が小さい側だったし、体脂肪率だって平均より少なかったのです。
ただその友達は誉め言葉と思っているのですからこれも厄介なもんです。
Chubbyの意味が分からなかったので彼女に聞くと、「ちょっと太ってるみたいな」と言われたので、正直ショックだった。、
まぁ文化によって美の基準みたいのは違うので仕方ないのですが、体重が重そうな意味を指す言葉で誉め言葉になるもの、日本語にはないですよね。
たまにぽっちゃりを「いい意味だよ」とかいう輩が言いますがここで言わせてください。黙れ。
そして日本語では誉め言葉(だと思う)「痩せてるね」ってのも、国によっては貧相に見えるなどのネガティブに捉えられることがあるので言わない方がいいのだと誰かが言っていた気がします。「鼻が高いね」とかもそう。(鼻が大きいと捉えられてしまうかもしれないから。)
まぁ要するに体のことは言わないことが最善なのです。そこまで親しくなかったりなかったり、文化の背景が違うとわかっている場合には特に。
さて、なんでこんなことを新年早々考え出したのか、
それは8年越しに、また人からChubbyって言われたから。また誉め言葉で。
気持ちだけは感謝するぜ。けどその真意をまっすぐ受け取るのは多分生きてる限り無理だろうな。自分もまた日本の美意識にとらわれている部分があるのさ。
誰に言われたのって?
フィジー時代の友人です(フィジー人)。
フェイスブックでつながっていて、新年の挨拶メッセージが来たので返したところインスタやっているかという話になりまして。
私のインスタグラムのプロフィール画像の写真を見て
「Chubbyでかわいいね!」だとさ。ありがとよ(うれしくない)。
フィジーではふくよかな女性が美しいとされているんですよね、だからこれは心からの誉め言葉なのでしょう。理解しようとはできます。
でも言いたいのです。私は健康体重であって太ってない!
だからChubbyの定義が太っていること(ここでは適正体重以上と定義しましょう)であるならば、私はChubbyではないのです。
それはシカを指さしてカモシカだ!というようなものなのです。
似て非なるものなのです。
だとすればこのChubbyという単語にfatとか含まれてしまっている時点で不愉快でしかないのです(私が)。そりゃ痩せちゃいないけども!
Chubbyはちょっと太っていて、でもかわいくて、誉め言葉で、とかごちゃごちゃ考えているときに思ったのです。
いっそ童顔と訳してしまえ、
だって雰囲気、たぶん似てるところがあるでしょう!
ぽっちゃりを誉め言葉として素直に受け取れない以上、私は個人的にChubby=童顔ということにします。子犬や赤ちゃんに使われるイメージなら、もうそれでいいじゃん、。
ちなみにトップの写真は我が家のかわいいぴよ太郎君です。
今は天国で過ごしているでしょう。彼もChubbyのかわいいヤツの一人。
わんこや小さな子がぽちゃぽちゃしていてかわいいのは理解できるんだけど、どうしてこうもそれを自分にあてはめられないのかは自分でもわかりません。できないもんはできないのです。
皆さんも人の体のことについてむやみに発言をしないことをお勧めします。
誉め言葉でも誉め言葉と受け取るのが難しいことがあるのです。
それは基本的に自分のことが好きなこの私でも感じることなのですから、自分のことについて懐疑的な子にそんなことを言ってしまっては、何も良いことがない気がするのです。
長くなりましたがお付き合いいただきありがとうございました。
それではお元気で
Toodle-oo!