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父の日

月曜担当のきみーです。
昨日は父の日でしたね。
世の中のお父さん方はどう過ごされたんでしょう??
我が家は男性が居ないのでね。。。。
なーんにもありませんでしたよw

それにしても、あちこちから、何もしてもらえなかった。。。と嘆く男性陣の声が(;´・ω・)
日頃から、思いやりとか?気遣い?ができていると、
何かしてもらえるかもしれませんww
あとは、家族サービスに勤しむパパさんの姿もチラホラ見られましたね!
もう、ぜひたくさんご家族と楽しんでほしい!
ってことで、また皆さん、良かったらどう過ごしたか教えてね!

とりあえず、父の日の起源でも載せときましょうか。
↓↓

1909年にアメリカ合衆国ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、男手一つで自分を育ててくれた父を讃えて、キリスト教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃に南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時既に母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、同国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、毎年6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用抜粋

私が子供の頃、父に何したかなぁって思いだそうとしてみたんですけど、
これと言った記憶ってないんですよね。
なんか、仕事ばっかりしてる人のイメージ?というか、そんなに多くを語るタイプでもなかったから、どっちかと言えば怖かったんですよ。
参観日とかで来てくれて何かを一緒にした記憶はあるんですけど。。。
あとはアレですね!
お金がかからないプレゼントの定番、お手伝い券だったり、肩たたき券だったり?wwwそんなのしか思い出せないな。。。
で、大人になってからも、うーん。。。
ほんと、親不孝者です(;・∀・)
今となってはもう何も出来ないので、お線香の一つでも。。。ってことで、子供と一緒に手を合わせておきました。

ではでは、長くなってしまいましたので、この辺で。
明日、火曜日はrikuaさんです。

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