五月十八日はことばの日
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
本日は"ことばの日"ということなので
ことばと自分の近況について書こうと思う
最近すっかり詩にハマっている
きっかけは冒頭の一詩である
谷川俊太郎さんの詩「芝生」
この詩をハルカリというミュージシャンの曲で知った
曲のラストに本人による詩の朗読が流れる
後から知ったがポエトリーリーディングと呼ばれるスタイルだった
初めて聴いたときかっこいいと思った
以来何度も聴いているが全然飽きない
もちろん曲としてハルカリのラップもトラックかっこいい
そもそもこの曲が芝生というタイトルでリリックからも詩にインスピレーションを受けて作られたことは容易に想像がつく
そこから急速に詩や言葉への興味が膨らみ
詩集エッセイを何冊か買って読み漁っている(ポエトリーリーディングの話は別の機会に)
最近仕事においてもコピーライティングや言葉を扱う案件に関わらせてもらっていて言葉に対して普段より敏感に反応するようになった(これも言葉の力の作用か)
今日外でお昼を食べていると近くに座ったスーツ姿の二人組がなにやら話の流れで
上司「君はまじめなタイプなんか?」
部下「まじめです家族で一番まじめですね」
みたいな会話をした
このときなぜか僕はこの部下は「ばかまじめ」なのか「まじめばか」なのかどっちなのだろうと気になってしまった
僕としては「まじめばか」のほうがポジティブだし自分はそっちでありたいと思った
こんなふうに明らかに言葉に敏感になっていて言葉を自分ゴト化していることに気がつく
そしてなんとなく思いついたのが『言葉たらし』ということば
「人たらし」の言葉版みたいな感じ
調べてみると「人たらし」は「人誑し」と書いて人をだますことを意味し元々は悪い意味だった
後に司馬遼太郎が著書で豊臣秀吉を「人たらしの天才」と表現したことからポジティブな意味も持つようになったそうだ(さすが言葉のプロ!)
言ってしまえば広告の仕事なんて巧みな言葉で人をだますようなものなので「言葉誑し」と言える (決して悪ではない)
ただどっちかというと僕は「誑し=言葉で狂わす」よりも「言葉に狂う」のほうがかっこいいと思っている
昔ながらの職人気質"プロフェッショナル"を感じるから
とは言いつつまだまだ言葉に誑されている側なので様々な角度から追求していっそう言葉に狂う所存です
五十八の日ここに決意表明す
以上