氷点下の朝に

10年に一度の寒波が訪れた翌朝、除雪作業で外を歩いていると、軒下に掛けておいたハシゴに丸い物体がぶら下がっていることに気がついた。近づいてみると、その物体は頭を下にして揺れているスズメであった。尾羽の一部をハシゴに凍りつかせて、ぶら下がっていたのである。
 
特に感情もなく、ゴム手袋をした手で包み込むようにして持ち上げてみたが、ハシゴから取れなかった。凍りついた尾羽を少し引っ張ると、パキッと取れた。改めてスズメを見てみた。目を瞑り、体の一部を凍らせていた。嘴がやたら黒々していて、なんだか気味がわるかった。
 
思えば、スズメの思い出にはいいものがなかった。春先の農作業、種もみを蒔いた苗箱を食い荒らされたり、植え付けたとうもろこしの種をほじくり返され食べられたこともあった。けれど今、するどく尖った爪足を開き、硬直して目を瞑っているスズメを見ていたら、こいつはきっと凍死したんだろうなあ、最後はどんな気持ちで逝ったのだろうなあ、などと想像力が掻き立てられ、なんだかひとごとではないような気がしてきた。
 
雪山に行けば、自分もまた、凍死の危険はある。いつなんどき、スズメと同じ境遇に陥るかわからない。そんなことが現実世界で見え隠れしているうちに自分とスズメが重なって、思わず、スズメを畑の方に投げてしまった。なにか、わるいことをした気になった。
 
その後、スズメの集まりそうな場所に米糠を蒔いた。せめて、生きているスズメの生きる足しになればと考えたのである。そんな気持ちなど無関係に、警戒心の強いスズメはエサには寄ってこなかった。薄っぺらい人間の感傷など、当然のごとく通じなかったのである。
 
なぜ、こんなスズメに出会ってしまったのだろう。おそらくきっと、春になって農作物を食い荒らすスズメを見て、また怒りを感じることだろう。けれど、少しだけ、前とは違う気持ちになるような気がしてならない。いまさらなにをだが、人は人だけで生きておらず、身のまわりで生きる動植物とともに生きている。そんな気づきを与えてくれたような気がしている。

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