山の「家」「ヤ」問題

山登りを楽しむひとのことを広く登山者というが、別な呼び方として登山家や山ヤといって、あえて使い分けることがある。

呼び名なんて、別にどーでもよい話ではないかなどと思いながらも、いざ実在の人物を想像しながら2つの呼び名をあてはめようとしてみると…。その呼び名がしっくりくるひとこないひとがいて、であればやっぱり「登山家」と「山ヤ」には歴然とした差があるってことに改めて気づいてしまったのだ。

例えば夏は北アルプス、週末には低山を楽しむような山登りが趣味のひと。この場合は登山家なのか山ヤなのか。登山家はなしと思うが、かといって山ヤといってよいものか。うーむ。難しい。次に、これは実際友人にいるのだけど、趣味の領域を遥かに超えて人生を沢にかけちゃったひと。仕事をやめて日本全国の沢巡りをするようなひとはどうなのか。登山家といってある意味まちがいなさそうなんだけど、山(沢)ヤと呼んだほうが圧倒的にしっくりくる。じゃ、もし自分の名刺に肩書きを入れるとすれば、どっちのほうがしっくりくる? ウケねらいならアリだけど、まともなひとなら山ヤはなしだよなー。注:いわゆる「山ヤ」にまともなひとがいるのか問題は大問題なので、ここではひとまずおいておく

などとくだらぬことを考えながら、自分のなかでの登山家と山ヤの使い分け基準に思いを巡らせてみると、登山家=権威=職業人、山ヤ=オタク=篤志家なんて図式が浮かんできた。

では、登山にあてはめた「家」と「ヤ」だけど、今度はそれを一般的な職業でいったらどうなのだろう。

家で思いつく職業といって真っ先に思い浮かんだのが小説家。次に音楽家、専門家…。なんかすごいことをしてそうなひとたちしか思い浮かばないんですが、ためしに彼らの「家」を「ヤ」に置き換えてみると…。小説ヤ、音楽ヤ、専門ヤ。今度は親しみが湧いてくる一方、「家」より一段低い感じがしなくもない。だいたいそもそも、的屋みたいでヤクザっぽい。

さらに視点を変えていじってみる。

山ヤのなかでも専門分野を特化させ、沢登り岩登りを志向する篤志家を、沢ヤ、岩ヤと言い換えてみるとあら不思議。マニア度がワンランクアップ。さらにストロングになってリニューアル! …な感じがしませんか?(しないか)

さて、ここで本題に戻り「家」か「ヤ」か問題。

山の場合、「家」だとトラディショナルでジェントル。一方の「ヤ」は、アウトローでフリーダム。加えて「ヤ」の場合は専門特化していくほどハードボイルドなイメージもつくというおまけつき。どうやら、そんな基準で自分は使い分けているらしい。

その昔、山岳遭難で遺体を回収するひとたちのことをオロク屋と呼ばれたことがあった。それは谷川岳での緑山岳会が有名なのだが、ふと思ったのが、自分が「ヤ」に対してアウトローなイメージをもってしまうのはこれが強く影響しているのではないか。

稀代のクライマー、クルティカの『アート・オブ・フリーダム』を読みながら、ふとそんなことを思ってしまった。まったくもって、本というのはどうやって読まれているのかわからないものである(同書の本題とは一切関係がありません)。


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