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応援するということ
先日、地元の大好きな喫茶店(カフェではなく)に久しぶりに行ったら閉店していた。入り口には「苦渋の決断で35年の営業を終了します」と書いてあった。
ショックだった。
閉店してしまったことよりも、何ヶ月も、大好きだった場所にいかず、閉店したことにも気づかなかったことが。
私自身も今、できる限りの節約をしての生活なので、喫茶店に行く余裕はなかった。でも、最近妙に気持ちが荒んでいたのは、好きな場所でゆっくりと時間を過ごすという心のゆとりがなかったから、ともいえる。
喫茶店に行かなくとも、生活はできるのだ。でもそれは、音楽を聴かずとも生活はできるという考え方と同じだったのだと、とても悲しくなった。
コンサートに来る人がいなくなったら収益は減り、私は生活できなくなる。現に今、そういう状態だ。そして音楽をやめざるを得ない日が来るかもしれない。でもそれが、現実だ。
この喫茶店も、他にも事情はあるかもしれないが、同じだと思う。そして、閉店してからいくら惜しんだとしても、もう遅いのだ。
もう1箇所、地元で大好きな場所がある。
それは、銭湯。
古くて、お湯もめちゃくちゃ熱いけれど、行くとなんだかほっとする。でも、もうどれくらい行っていないだろう。そう思い、昨日久しぶりに行ってきた。予想通り、お客さんはまばらだった。でも変わらずここを必要として通っている人たちもいるということも感じた。
これから週に1度でもいいから、この銭湯に行こう。と思った。
なくなって欲しくないと思うならば、例え微力でも行動しようと。
それが、応援するということだ。
銭湯でゆっくりお湯に使ったので、昨夜はずっと体がポカポカしてぐっすり、眠ることができた。ありがとう!浅間湯!
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