ひとりで旅をすることは自分と旅をすること

 以前のことだ。私は名古屋で全国出張のある仕事に就いていた。全国出張とはいっても、出張先は東京か大阪がメインで、たまに福岡や仙台という程度のものだったけれど。
 月に三度ほどのペースで一泊の出張をしていたので、まあ毎週のようにちょっとした旅行をしていたといってもいいかもしれない。会社としても、せっかく行くのだから、観光くらいしても構わないというスタンスだった。とはいえ、業務の都合上、現地に着くのはもっぱら18時を過ぎてからなのに加え、次の日は仕事を終えたらとんぼ返りで翌日の会議に備える、というような慌ただしいものだったので、旅行気分を満喫するというには程遠いのが実情だった。何より出張は大抵単独行動なので、ひとり旅というのに慣れない私にとっては、行って帰ってくるのが関の山なのだった。
 東京―名古屋間が2時間弱、大阪でも3時間でたどり着ける今日この頃、遠方への出張に対する遠足めいたわくわく感や緊張といったものは次第に薄れていくもので、一年も経つころには目新しさもなくなり、ホテルで翌日の激務に備えて寝るだけになっていた。なんだかなあ、と思わなくもないけれど、これは私に限ってのことではなく、チームの同僚もみな、同じように観光に対する意欲を知らぬ間に失ってしまう。ある意味では、これも職業病のようなものなのかもしれない。新人が緊張ぎみだったり楽しそうだったりに出張に出かけていたのが、だんだんと平気な顔で出て行くようになるのが、このチームの通過儀礼だった。
 さて、大阪に行ってもたこ焼きすら食べなくなった頃、私は異動で出張のない部署に行くことになった。そうなると、これまではいつでも買えるものと思っていた、東京駅内のキオスクのごまたまごも途端に惜しまれるようになる。車窓から見える町並みも少なからず感傷を呼び起こすようになり、通過するだけの広島駅から見える、デイゲームのためにドームに集うカープファンの赤い行列なんて、なんだか愛しさすら感じてしまう。単純ということなかれ、人は失うまでその価値に気付けないものなのだ。
 そんな折、異動前の最後の月に、福岡への出張が決まった。二月のことだった。ちょうど次の日が祝日で、簡単な報告さえ済ませれば延泊できることになった(延泊分はもちろん自費です)。久しぶりに出張のありがたみを思い出していた私は、これはチャンスだ、と思った。ひとりで観光名所を訪れる度胸もなく、数々の機会を棒に振ってきたのだ。最後に福岡で延泊できるなら、これを逃してはならない。新幹線代は会社の経費で落ちるのだから、満喫しなくてはならない――。
 どうにも吝嗇くさい決意だけれど、これもまたきっかけだ。
 旅行といえば、私の父は家族旅行によく連れていってくれた。長い休みが取れないせいで大抵が一泊だったけれど、海の近くやら山のキャンプ場やらと、いろいろなところに連れていってくれたものだ。こういうとき、父はどこに行くか、どこに泊まるか、どこを観光するか、何を食べるかをしっかり決めた上で、私たち家族を楽しませてくれた。旅行の段取りを決めるのが好きなのだろう。おまけに少々サプライズ好きのきらいもあったので、当日になって蛍を見に行くだとか、星を見にいくだとか知らされることもあった。こっそりと調べていたおいしいお蕎麦屋さんが休みだったなんてこともあったのだけれど――これもある意味ではサプライズだった――私は一昔前のミステリーツアーよろしく、わくわくと座席に座っていればよかった。
 長じてからは友人と旅行に行く機会もできた。幸か不幸か私の友人はみな誰かしら段取り上手で、旅行に行きたいねえ、と話した次の日にはパンフレットを持ってくるような敏腕さだった。中には当日のスケジュールを「遠足のしおり」のようなかわいらしい冊子にしてくれた子もいた。私はといえば提案されるどれもこれもが素敵に思え、誰かがここへ行きたいといえば自分も行きたくなるような優柔不断っぷりだったので(世間知らずが幸いし、どこへ行っても楽しめるのだ)、またもや楽しくお客さんをしているのだった。
 そんな私がひとり旅、である。たとえそれが出張の後のわずか一日の余暇だったとしても、私にとっては旅だった。
 まず私は旅程を組むことから断念した。どうせ勢いと思いつきで決めた延泊なのだ。当日も行きたいところへ、行けるだけ行けばいい。そう開き直ると、妙に開放的な気分になった。たぶん、きちっと決めようとするときちっとしきれないから、ストレスになるのだ。できないことは無理にしなくてよろしい。スケジュールが決まっていなければどこにも行かれない訳ではないのだし、この際行き当たりばったりに行けばいい。決まっているのは帰る時間だけ。翌日は仕事なので、17時台の新幹線にした。泊まっていたホテルのフロントに確認すると、チェックアウトした後も、帰りまで荷物を預かってくれるという。ありがたくお世話になることにした。
 おしりが決まると、腹も座るもので、とりあえずこれだけはやっておこうという事項だけ頭の中にリストアップした。
1、名物のとんこつラーメンとごぼ天うどんを食べる。
2、ぜんざいを食べる。
3、現地の人がよく行くという中華のバイキングに行く。
4、キャナルシティをぶらぶらして、財布を新調する。
5、どこか神社仏閣へ行く。
 清々しいほど食欲を優先したリストだと思う。とんこつラーメンは博多に来た夜に食べたので、仕事終わりにごぼ天うどんを食べて、他は次の日に回すことにした。博多のソウルフードと聞くごぼ天うどんは、澄んだおつゆに、男の人の手のひらより大きなごぼうの天ぷらが載っていて、見た目からして圧倒された。店内は出汁とごぼうの香りがして、厨房ではお店の人が汗だくで天ぷらをいくつも揚げていた。うどんは思っていたよりも細くてコシが強い。顔くらいあろうかというごぼ天は、つゆに漬かったところはしんなりと、外に出ている部分はざくざくとしてとてもおいしい。何より油とごぼうのうまみの溶け出したおつゆが最高で、冬だというのに汗をかきながら平らげた。温かいものをしっかりと食べ、寒い表を歩いてもお腹のあたりが暖かいのがうれしかった。
 翌日はまず手始めに、朝昼兼用で中華バイキングに行くことに決めた。普段はひとりではバイキングになんてとても行けないが、旅先では少々気が大きくなる。家族連ればかりが目立つ店内で、ひとり身軽に回るのも楽しいものだ。ひとりなので、好きなものばかりを選んで食べる。一度食べておいしかったかに玉と、皮がもちもちとしたえび蒸し餃子を何度もおかわりして、普段はできないちょっと悪いことをした気分になった。好きなものを好きなだけ食べられるのがバイキングの魅力だというのに、いつもだと、盛り付けたときのバランスやら見目やらを気にして、できるだけきれいにしようと思ってしまう。余計な荷物は置いてきてしまったほうが、旅は楽しい。このお店の素敵なところは、たくさんの中国茶の中から好きなものを選べるところで、名前は忘れてしまったが、花のいい香りがするお茶を飲んだ。
 調子に乗ってたくさん食べたので、次は腹ごなしに歩くことにした。神社仏閣を訪れることをリストに入れていたので、マップを検索して、一番近くにあった水鏡神社というところにお邪魔した。御朱印を集めたり、お守りを買ったりという信心はまるでない私だが、神社に訪れるときは、お邪魔しますと心の中で断ってから入るようにしている。その土地の神様のおうちに上がるのだから、何も言わないというのも座りが悪い。お参りをしたら、キャナルシティに向かおうと決めて、せっかくだからともうひとつ、近くの警固神社にも足を伸ばした。神社に行くと、不思議とその土地にいることを認められたような気になる。春はまだ先だったが、暖かい年だったので、もうカンヒザクラが咲いていた。
 何も決めないで歩く旅がテーマだったが、キャナルシティに行くなら、どのお店を見たいか決めてから歩き出すべきだ。大きなモールで、おまけにさまざまな区画に分かれているせいで、適当に歩いていた私はすぐに迷子になった。西にいたかと思えば気がつけば壁や柱の色が変わっていて、南にいる。何度も同じ道に出てしまう。それでもいろいろなお店を見て、散々迷った末(道にも品物にも)、アニエスベーで目の覚めるような真っ赤な財布を買った。きっと、行きがけに神社に寄ったから、鳥居と同じ赤い色が目に付いたのだと思う。こういうのも、旅先の偶然が生む出会いだ。
 良いだけ歩いてくたびれたので、休憩がてら、ぜんざいを食べることにした。幸い、バス乗り場からそう離れていないところに一軒お茶屋さんがあったので、お邪魔した。古い店構えで、お茶はセルフサービスです、と書かれたポットがカウンターに置かれているのがおもしろかった。お店の中はぜんざいと、やかんが沸くガスの匂いがして、随分前に建て壊した祖母の家のキッチンを思い出した。少し暗くて、古い食器棚に花柄のお皿やいちごの形をしたスプーンが並んでいた。床には扉がついていて、開けると床下収納になっていた。その扉の上に座るのが好きだった。注文したぜんざいは濃くて甘くて、思い出といっしょに喉にわだかまった。添えられたお茶の渋さと塩こぶの塩気がちょうどよく、お昼にあれだけ食べたというのに、香ばしく焼かれたおもちをしっかりと食べた。ガラガラ扉を開けて外に出ると、火傷した舌がひりひりした。
 気が付けば、そろそろ帰りのことを考えなければならない時間になっていた。昼間はきっぱりと晴れていたのに、空もぐずぐずと曇ってきて、だんだんと日が陰ってきたのと相まって、ひどく寂しかった。橋の上から川を見ると、赤みを帯びてきた太陽が川面に映って、ゆらゆらと光るのがなおさら寂しくさせる。公園で遊んでいたら、友だちが門限で順番に帰っていってしまったときのような、楽しかった時間を取り上げられたような寂しさとすこしの不満。だというのに、帰りの駅までのバスで、荷物を抱えて、混み合う中でも運良く座ることができたときに感じたのは、これで帰れる、という安堵だった。歩きつかれた足はじんじんとして、靴の中で大きくなったり小さくなったりしているようだった。
 博多駅に着くと、新幹線の時間までまだ余裕があったので、家族におみやげを買って、駅内のショッピング街をふらふらとした。ホテルに荷物を取りに行って、新幹線のホームを大荷物で歩いていると、だんだんとおかしくなってきた。なんだ、案外と無計画でも楽しめるんじゃないか。たぶん無駄も多かったし、もっと寄ればよかったところもあったと思う。けれど、気の向くままに、自分のことだけ考えて行動するのは、身軽で、不思議な開放感があった。ひとりで旅をすることは、自分と旅をすることだ。新しい自分を見つけたようで、大層気分が良かった。大げさだけれど、行きよりも一皮むけたような気さえするのだった。何もちょっとひとりで観光したくらいで、と思う向きもあろうが、小心者にとっては大冒険だったのだ。何事も挑戦してみるものだ。奇妙な充足感と達成感を覚えたまま、気持ちよく名古屋まで帰った。


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