「一度目の命日」から35年②
書き足りない部分の補足。かなりあるけど、記憶の許す限り・・・
思えばあの日、夕方に「ガッコ」から下校して、自転車納屋に停めてから、家に戻ったところで、肉親が、藪から棒に、
「先生が今日来るき、言いたいこと言いない」
ときた。それで、屑教師イトウは、35年前の今日の夜7時ごろ当時の家にやってきた。愚かな親が、あやつに電話したことを口実に、押しかけるよう
「段取り」したみたいだ。
そして、先記事の「藤川みたいな字書いてら」の件を話すのだが、私が悪いといわんばかりに、前記の屑というか下種どもを、
「個性が強くて劣等感が強い」からと擁護した。
要するに下種の言葉の暴力を肯定したのだ。
これはびっくり。日頃、こちらに下種どもが悪罵の限りを尽くしていたことなどをはなそうと思ってもそれはさせず、下種どもを擁護するのに違和感を覚えた。
特に三下プロシューターを擁護していて、あれは警官の息子だからどうのこうのと、同情を押し付ける有様。
例の、「何とも思わん」発言は、
「おれが<下種なカッコつき同級生>奴らを56してもか!」
日頃そこまで思い詰め、追い詰められしていたからこうイトウに言った時だった。「被害妄想じゃないか?」と私を罵ったうえで、
「何とも思わん」
そうこいたのだ。
これで、私の心は「死んだ」。
この日の夜、首吊ったほうがましだったかと、今も思う。味方がばあさましかいなかったしね。そうだなあぁ。
<<「可能性」の三文字が、潜在意識のなかになかったら、この日の夜、当時の実家近くにあった柿の木に、首吊って、楽になってたかもしれない。その三文字を教えてくれたのが、「君の可能性」を書いた斎藤喜博。だから私は今も、このお人を「心の師」と位置付けている。>>
完全に脱線したので、一旦中断。
まだまだ続く
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