原風景
私は既に還暦が見えてきている年齢だが、今でも思い出すと涙が出そうになる風景がある。それは例えば今はもう無い祖父母の家の、水屋箪笥(みずやたんす)の開きの中から見た部屋の光景だったり(信じられないと思うが、縦45㎝ほど、横20㎝ほど、奥行き40㎝ほどの小さな開きである。大人になってから改めて見て自分でも信じられなかったが小さなころの私は入れたのだ)、縁側から見た洪水だったりする。
小さいころ住んでいた町は、丘と丘に挟まれたふもとの町で、徒歩で15分ほどで海に出る、そんな地形だったので、大雨が降ると丘から流れてきた赤土混じりの水が道路を駆け下り、小さな路地を川にしてしまう。うちはそんな小さな小さな路地の、入って2軒目のこれまた小さな家だった。
元左官屋だったという祖父は、家の中のことも外のことも全部自分でやってしまう人だった(その家も自分で建てたらしい)。いつも洪水に悩まされていたから、その辺りの家で、玄関土間から居室床までの高さが膝より低い家は無かったと思う。その中でもうちは二番目(!)くらいにボロい家だったが、玄関の手前にコンクリートで作った高さ10センチほどの三和土があり、玄関土間はさらに数センチ上がり、そこから二段の階段状の上がり框があって、居室があった。今でいうGL(グラウンドレベル)は800~900あったのではないか。縁側も三和土も私が小さいときに祖父が作り直すのをじっと見ていた記憶がある。思えばその頃から大工仕事を眺めるのが大好きだった。縁側はコンクリート作りで、ブロック塀で囲まれ、トタン屋根が乗っっていた。広さは自転車が2台くらいゆうに置けるくらいの幅があり、長さは本間六畳の縦と押し入れの奥行を足した長さと同じだったので、5m弱あったんだろう。もちろん高さは居室床と同じ高さだった。
その縁側のほんのちょっと下まで水が来て、あわや床上浸水か…となったときが一度だけある。記憶が定かではないが、小学生の時台風で雨風がひどく、朝起きたら目の前の路地は水が流れており、昼頃までにどんどん水かさが増し、縁側のすぐ下まで来たのだ。暑い時期だったと記憶している。私は祖母に叱られても、縁側でずっと水が流れるのを見ていた。今でも暑い時期大雨が降ると毎回思い出す。もう今は楽しくはない、子どもの頃の楽しい想い出。子どもの頃ってどうして大雨も大雪も楽しくて仕方なかったんだろう。今より雨具も防寒具も粗末なものだったはずなのに。濡れても寒くても楽しかった。
大人になり、祖父が亡くなり、祖母が施設に入った時と前後して地主さんから、そこら一帯を売るとのことで土地を返した。今は月極駐車場になっている。帰るべき家が無くなってしまった私たちは、「里帰り」が出来なくなってしまった。心の中で生きるこれらの景色をいつまで覚えていられるだろうか。