
しげるくん
私は産まれた時1550gの超未熟児で、40日間保育器に入っていたそうな。
アルバムの初めの1枚は、ふくふくとした赤ん坊で、満面の笑みの母に抱かれている。
しばらくして、ミルクを飲んでいた私が突然チアノーゼ発作を起こし、驚いた母が病院へ連れていくと大きな病院を紹介され、様々検査を受けた結果、「中隔欠損症」と診断された。ただ、まだ小さすぎて手術も無理だし、診断自体も確定ではなかったらしい。なにせ、聴診器の丸の中に心臓全体がすっぽり収まる小ささ。注意深く、死なせないように、定期的に検査しながら診ていきましょうとなったらしい。
何度目かの検査の結果、私は中隔欠損症ではなく、動脈管開存症であると診断がおりた。手術は出来るが最低でも3歳までは待たないと無理とも。
3歳での手術成功率は6割。6歳まで待てば成功率は格段に上がるが、6歳までの生存率そのものが5割──
そう説明を受けた母、祖父母は悩み、話し合い、3歳での手術に踏み切った。結果、ドクターより
「風邪をひかさないこと。この子、風邪ひいたら死ぬよ」
と言われ、
とにかく少しでも肌寒くなったら長袖長ズボンタイツ!
完全に暖かくなるまでは長袖長ズボンタイツ!
そんな風に育ったので、幼稚園~小学校まではとにかく写真のほとんどが長袖長ズボンで笑笑
中高と制服になったらとにかく風邪ひいた。少し肌寒い日があれば風邪。ずっと風邪。春まで風邪。三寒四温は風邪。下手すりゃGW頃まで風邪──大人になって、服装自由になり少しマシになったが、冬はずっと着膨れていた。フリースありがとう!ヒートテックありがとう!ユニクロありがとう!
そんなこんなで3歳で無事手術は成功しましたけども。
皆さん、小さい頃の記憶ってどのくらいあります?何歳くらいから?うちの妹によると、3歳くらいからバッチリあるみたい。
私には、その頃の記憶がほぼありません。なんなら幼稚園や小学校低学年までの記憶は数えるくらいしかありません。長期入院、検査、手術…どれも強烈な記憶となりそうなもの、何ひとつ覚えていない。余りに嫌すぎてフタをしてしまったのかな…いつかカウンセリングとか受けられたら、ちょっと思い出したい。
それでもいくつか覚えている。
心臓外科だし、なんか検査で腎臓の数値も悪かったらしくて、極端な塩分制限指導受けてた私。お弁当によく入ってる、魚の形のお醤油。あれひとつが1日の塩分量だったらしく(覚えてはいない)2歳半とか3歳の子どもが食べるわけないよね笑笑元々小さいのに、ごはんもおかずも食べないから、ますます痩せて。このままだと手術の前に死んでしまう!って付き添いだったばあちゃんが何度も何度もドクターと交渉して、今で言う「ハイハイン」、白くて丸い柔らかせんべい、1日に1枚だけ許可がおりて、あとは、氷砂糖なら食べても良い、と言われて、ばあちゃんすぐ売店に走ったらしい。お腹すいて泣いちゃうから、せんべいも夕方から1枚。夜通し泣きそうになったら氷砂糖。でも、噛めないし、喉に詰まったらまた死んじゃうから、ばあちゃんがガリガリ噛み砕いてから私の口に入れてくれて。(今考えたら汚い?でも愛だよね)そのせいか、ばあちゃんは60手前で既に総入れ歯だった。たぶん、小学校上がるくらいまで、氷砂糖噛んでー!ってばあちゃんにやってたな…ごめん。
あと、病室が6人部屋で、私が窓際、真ん中がのりこちゃん、入口側がしげるくんだった。(あと?覚えてないww)
のりこちゃんは大人しくて、あまり動かない子で(大人になってから聞いた、起き上がることも禁止だったらしい)、お前は本当に病気なのか、ってくらい元気いっぱいな私をいつもニコニコしながら見てた。しげるくんはまた大人しくて優しいお兄ちゃんで、ベッドの上で遊ぶのはいいけど、ベッドから降りちゃだめと言われていたらしい。私…は一応病室内は歩いても良かった。部屋を出ちゃダメとは言われてたと思う。たまに病室の大人がみんな居なくなる時があって。するとしげるくんが私に手招きする。私はピンクのうさぎのスリッパをはいて、しげるくんのベッドに行く。よいしょって上がって、ウルトマランとか、怪獣とか、ミニカーとかで二人で遊んだ。そのうち、禁止令が出た。「一緒に遊んじゃダメ」って。たぶん、子どもってリミッター装備されてないから、はしゃぎまくってしまうのよね。それは心臓に(本当に!)悪いからなんだよね。だけど、ダメって言われて「はい」ってならないのが子どもだから、目を離すとすぐにベッドに行っちゃうから(私が)、ばあちゃんが私のスリッパ隠したのね。
私、行こうとしたらスリッパ無くて。仕方ないから裸足で行ったのね。帰って来たばあちゃん笑い泣きしてたわ。
小さな、ピンクの、ふわふわな
、うさぎの、スリッパ…
元気になったら
手術が終わったら
退院したら
「一緒に遊ぼうね」
って約束は、果たされないまま。
しげるくんの手術が成功したかどうか、私の家族は知らない。私の手術の方が先で、退院してからは下関の病院で見てもらっていたから。しげるくんは私より先に入院していて、既に一度手術を受けていた。私が退院する時、まだあと3回手術しないといけないと話していたらしい。だから、母も、ばあちゃんも、連絡先は聞かなかったと、私が大人になってから教えてくれた。
2つか3つか上のお兄ちゃんだったしげるくん。どこかで元気に生きていてほしいなぁ…