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住吉界隈いま・むかし⑦【墨江村大字遠里小野】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
住吉界隈いま・むかしの第7弾は、【墨江村大字遠里小野】(墨江東7丁目付近)です。『住吉いま・むかし』P.82・83からの転載です。
遠里小野は「おりおの」と読みますが、大阪の難読地名としても有名ですね。
かって姫瓜の産地であったため「瓜生野」と呼ばれていましたが、なまって「おりおの」になったと言われています▶「【いくつ読める?】遠里小野、毛人谷、道修町…大阪府の難読地名〜中級編〜」参照。
しかし、21年前の写真を見てもその面影は全くありません。
遠里小野の熊野街道沿いはまだまだ風情ある古い町並みが残っています。毎春菜の花が綺麗です!!
すみ博の夕刻は住吉っさんの反橋前で「住吉っさんの夕べ」。南京玉すだれを見ていると反橋周辺の石燈籠が住吉の遠里小野が発祥の菜種油で灯し始めめっちゃ感動!約1時間楽しめました~2日目は“住商サウンド”でまた感動をいただこう(^^♪ pic.twitter.com/0HOQm1VGuh
— きむいさ (@kimuisa) October 31, 2015
遠里小野は"菜種油発祥の地"でもあります!!▶「再発見!すみよし文化レポート その21 菜の花を咲かそう会 吉田進(よしだすすむ)さん」
地域住民が主役のイベント「すみ博」では遠里小野の地域住民の皆さんが育て搾った菜種油で、住吉っさん(住吉大社)の石燈籠が灯されます~昨日のすみ博2021でも灯されました。
200年以上前の環濠集落の跡が今も残っています⤴
『住吉大社と南海沿線』と題しての住吉っさんの小出さんの講演、めっちゃ良かった! 一寸法師だけでなく浦島太郎も住吉と関わりあり、遠里小野にはかって玉手箱という地名もあったとか。金太郎は鬼退治に行く前に住吉っさんにお詣り★魅力いっぱい住吉 pic.twitter.com/mXq8Rf7lqv
— きむいさ (@kimuisa) September 20, 2015
遠里小野2丁目・6丁目の大和川右岸沿いの地域には「玉手箱」という地名が残っていたとか😲
うわ~~ほんまや😯先月から #住吉界隈いま・むかし というのを毎週ツイートし始めててhttps://t.co/ckTm8tZaUU今週は #遠里小野 でしようと情報探ってたら、「オリオノ病院」じゃ無かった😯「リ」が「り」!!
— きむいさ (@kimuisa) April 27, 2021
住吉っさん北側の #一運寺 の石碑は南側が「一うんじ」で北側が「一うんち」は知ってたけど pic.twitter.com/xgIIgNY25K
そうそう、遠里小野1丁目1番15号にある病院が「オリオノ病院」じゃなく、「オりオノ病院」だったとは最近まで知りませんでした😲
因みにその訳は、看板屋さんが間違えたらしいけど、そのときの院長が「逆に面白い」とそれを正式表記にしたそうです(笑)⇒「熊野街道の起点を歩く(12) 堺・遠里小野町~花田口」参照。
またゆっくり散策したい遠里小野です~次回はかって大阪府廳(ちょう)官舎であった【墨江園(ぼつこうえん)】を紹介します。
#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #遠里小野 #菜種油発祥 #タイムスリップ #難読地名