大阪市の市章"澪標"は浜名湖にも!!
平松・元大阪市長時代に我が大阪市営バスが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による『東日本大震災』の2日後、救援物資を詰め込み、宮城県仙台市の宮城消防学校へ🚌
出発日は土曜日で省庁が休みだったのですが、「帰ってきたら一緒に怒られましょか」と許可を取らず見切り発車したとか。もうこの記事を見る度に感動でウルウルです、今も😭勿論、平松市長は激励したそうです。平松市長は真面目に公務もしていましたが、今の市長と言えば......
でもこの大阪市の澪標(みおつくし)のエンブレムが光り輝く大阪市営バスは2018(平成30)年4月から民営化され、澪標は消えました。
大阪市民にはお馴染みの澪標
大阪市のH.P.「市名 市章 市歌 市の花 市政」より
「澪標」とは、通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として、水深の浅い河口港に立てる杭のことです。古来から難波の澪標が有名ですが、大阪市民の私には、1894(明治27)年から大阪市の市章となった澪標はとても親しみのあるものです。
『大阪市立図書館 デジタルアーカイブ「摂津名所図会(巻四下)」』(画像管理番号 144248)より
『摂津名所図会』は江戸時代後期の1796(寛政8)~98(寛政10)年に刊行された、摂津国(大阪府北中部と兵庫県南東部)の名所を絵画と文章で紹介した地誌です。巻四下の「安治川口諸船入津」には、「✖型」の澪標が描かれています。
『大阪市立図書館 デジタルアーカイブ「天保山 (浪花百景)」』より
『浪花百景』は浪花(大坂)の百の景色を描いた名所絵の浮世絵シリーズで、江戸時代幕末(1853~68年)の大坂の町の様子や庶民の姿が生き生きと描かれていますが、「天保山」には澪標も描かれています。
大阪都市協会『写真で見る大阪市100年』(1989年)には、1877(明治10)年頃の「木津川河口の澪標」が載っています。
2015(平成27)年1月12日(月)に大阪市住之江区南港咲州の様子を見に行った際、「なにわの海の時空館」(2013年3月10日閉館)の近くに、現役ではありませんが澪標を発見しました!! 6年経った今でもあるのでしょうか?
また近くに行く事があればチェックしたいと思いますが、現存する本物の澪標はないのでしょうね?
Wikipedia「澪標」より
澪標をシンボルマークにしている団体は多いです!!
現存する建築物や保存された部材にも!!
大阪市此花区伝法には『澪標住吉神社』には、境内に澪標が立っています。この神社の由来は、804(延暦23)年に遣唐使の航路安全を祈願して創建されました。
岡山県の倉敷川に現存する澪標
澪標について調べていて、岡山市南区を流れる「倉敷川」の河口に現存する澪標があることを知りました。↑ クリックすると、「倉敷川の澪標」と言うビデオが見れますのでご覧下さい。
2015(平成27)年1月10日(土)に行ってきました🚃
現存する澪標4つのうち、2つを見つけることが出来ました✌ また機会があれば残り2つと現状をチェックしに行きたいです~
静岡・浜名湖にも現役の澪標?!
これまで何度も浜名湖を新幹線や在来線で通過することがありました。どちらかと言えば海側が好きなので車窓からは海側の景色を楽しむことが多いのですが。。。
昨日2021(令和3)年10月21日(木)は東京行ののぞみだったのですが、山側の座席で車窓から見える景色を楽しんでいると、澪標が目に入りました😲とっさのことで写メは出来ず😭
しかし、Google Mapのストリートビューで確認すると、浜名湖に澪標が立っていました\(^o^)/
浜名湖の澪標は他にもあり、↑によると、遠江引佐細江の澪標(浜松市北区細江町)は日本最古の澪標だとか😲又、細江町は2005(平成17)年に編入されましたが、町章は澪標で橋にも町章があり、旧細江町の名残が見られるようです。
昨日の東京行は、noteでも何度が紹介している私イチオシのシンガーソングライターである【Nachika(ナチカ)】さんを観に行くのが目的だったのですが、浜名湖の澪標発見だけでなく、他にも収穫がありました!! ので、またこれらも紹介していきたいと思います。
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