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「思想が強い」と言うけれども
「思想が強い」という吐き気を催す言葉を、子供だけでなく大人も平気に使っているという、嘆かわしい状況が続いている。言及するのもおぞましいこの言葉を少し解剖してみれば、何か見えてくるものがあるかもしれないのでやってみよう。
「思想が強い」という言葉の意味
たいていの場合、「思想が強い」という言葉は、他人への揶揄や中傷として使われている。「あいつは思想が強いやつだ」といった言い回しには、「あいつは屁理屈で、自分の意見に凝り固まっていて、閉鎖的だ」といったニュアンスが込められている。あるいは、「頭でっかちで、場の空気が読めず、近づきたくないやつだ」といった意味合いもあるかもしれない。そして、「あいつは思想が強いやつだ」という言葉を聞いている私たちも、それがどういう人間を指しているのか、上のようなニュアンスのおかげで、だいたい想像できてしまう。
このことから分かるように、「思想が強い」という言葉を発している人間やそれに同調している人間は、「思想が弱い、少なくとも思想をあまり表明しない」態度をポジティブに捉えている。つまり、「理屈を持ち出さず、他人の意見にも寛容で、開かれた態度」あるいは「しっかりと行動し、他人と強調し、親しみやすい態度」が理想とされているわけである。なるほど、イメージするだけでお近づきになりたい仏のような顔が浮かんでくる。こういう仏に比べたら、「思想が強い」人間など真っ平ごめんだ。
「弱い」思想は良いものか?
しかし、そんなものは条件次第である。論理的に破綻している言説や、財産や権利を理由もなく奪おうとしてくる他人、決して許してはいけない不条理などに取り囲まれている人間が、もし「『弱い』思想を持つこと」「思想をあまり表明しないこと」を選ぶとしたら、それは大勢順応以外の何ものでもない。現状に深刻な問題点を感じている人間が、何とかして生き延びるためにも、「強い」とされる何らかの思想をもって理論武装することはいたって自然なことであり、そもそもそうした「強い」思想抜きに現状を変えることなどできない。
「思想を持つな」という思想
もっと言えば、こうした事態を無視してそれでもなお「思想が強い」ことを非難する人々は、思想を持っていないというより、無意識であれ意識してであれ、何らかの他の思想を持っているのだ。「現状を受け入れて器用に生きろ」、「相手を批判するな、他人に好かれ続けろ」「物事の本質や深層を知ろうとするな、浅い『表面』の上でひたすら戯れろ」などなど、その是非は措いておくとして、これらはこららで非常に「強い」思想であることは間違いない。
私は最初の方に、「『あいつは思想が強いやつだ』という言葉を聞いている私たちも、それがどういう人間を指しているのか、上のようなニュアンスのおかげで、だいたい想像できてしまう」と書いた。つまり、「『弱い』思想を持つな」「思想を表明するな」という思想は、私たちが肯定しようと否定しようと、私たちの日常の奥深いところに根付いていることが分かる。社会の広範にわたって沁みついているという意味で、ある意味この思想は最も影響力の強い最強の思想であるとも言えるだろう。こうした社会においてはほとんど強迫観念的に、「思想が強い」ことは忌避されるのだ。
「無思想」というものはあり得ない
よって、「思想が強い」ことと「思想が弱い」こととの対立は決して、中立的なものと「強い」思想との対立ではない。これは、思想と思想との対立なのである。もっと正確に言うと、「思想が弱い」ことを称賛する思想の特徴の一つは、思想と思想との対立を「中立的な自分たちと『強い』思想をもった相手」という構図に塗り替えることである。
「中立の立場」といったものが原理的にあり得ず、私たちは何らかの思想やイデオロギーを信奉せざるを得ないとしたら、私たちは思想の対立に巻き込まれのを避けることもできない。私たちは「つねにすでに」イデオロギーや思想の闘争の場に当事者として立っているのだ。たとえ、その闘争が非常にゆるやかで、ほとんど気づきようの無いものだとしても。つまり私たちは「すでにつねに」他者を脅かし、また他者から脅かされてもいるのである。
私の思想
そうであるなら、当然のことながら、私のこれまでの主張も私の思想によって突き動かされていることは間違いない。そこでさらに、私は自分の主張を踏まえて、あなたに推奨したいことがある。
思想から逃れようとするな。それは無意味な企てだから。そうではなく、あなたの思想を、それが大勢順応であろうと反大勢であろうと、これまで以上に洗練させ、強度を強め、地上の光が届かないほど深めていってほしい。あなたが、あなたの味方でさえ恐ろしく、あなたの敵でさえ美しいと思わせるような、暗い宝石のような思想を育んでいくことを願っている。その思想に触れた私が顔をゆがめて、「あなたの思想は強すぎる!私を批判するな!」などと返したら、あなたは私が堕落したとして切り捨ててもらっても構わない。
これが私の思想である。あなたの思想は何だろうか。あなたの思想は十分に美しいだろうか。あなたの思想はこれからどこへ向かっていくのだろうか。