虐待死させた子どもの『最期のことば』に母親が号泣した
最近、Twitterでアップされ、対象者が割り出されて警察に逮捕された『虐待動画』。
私のアカウントでも、フォロー・フォロワーの方々がたくさんシェアしていたので、タイムラインの海に何度も出現していました。
私は、今回の虐待動画をみるたびに、おそらくみなさんが経験したことがないであろう「あの日」のことを思い出していました。
今回の話は、もしかすると守秘義務に反するのかもしれません。
なぜかというと、特定の事件のことを詳しくお話するからです。
当然ですが、登場する当事者の名前は仮名のイニシャルに、事件の中で登場する重要なキーワードは当たらずとも遠からずのものに置き換えます。
それでも、事件情報を詳しく検索できてしまう現代では、もしかすると事件の特定に至ってしまう方がいるかもしれません。
多方面からのお叱りを覚悟で今回の記事を公開するのは、noteという場を借りて情報を発信することが、悲惨な児童虐待の抑止に役立つと思うからです。
警察署の窓口で「子どもを殺しました」
あれは私が刑事になって3年目のこと。
巡査部長という階級に昇任した年でした。
昼食を食べ終えて少しの間休憩を取り、110番通報や窓口で被害を申告しに訪れた人の対応をするために、当直室に詰めていたときでした。
窓口には30代とおぼしき女性ともう一回りくらい年上かなという男性。
よくみると、女性は胸に1歳未満かなという程度の赤ちゃんを抱いていました。
とてもオドオドした様子で、明らかに何か困りごとがあって来たにもかかわらず、どこに、だれに声をかければいいのかもわからない様子でした。
「どうされましたか?」
窓口のガラスを開けてお決まりの挨拶を投げた私に、2人は重々しい足取りで近づいてきました。
「あの………」と口ごもる女性。
次の一言は、私にとって一生涯忘れられない一言になりました。
「子どもを殺してしまったんです」
何を言ってるんだ、この人は…
子どもはスヤスヤ寝てるだけじゃないか。
寝苦しいのか、モゴモゴと動いてるし。
「いや、その子、寝てるだけでしょ?」
失礼な話だとは思いますが、それだけ現実味のない一言だったのです。
しかし、女性は続けて言いました。
「いや、この子じゃなくて……自宅にもう1人、子どもが死んでるんです。私が殺しました。」
母親が語った虐待の様子
まずは女性が何のことを言っているのか、どんな状況なのかを知る必要がありました。
しかし、同時に、もし自宅になんらかの事情で瀕死の子どもがいるのであれば、大至急で救護の必要があります。
「まずは大事なところだけを手短に聞けよ」
上司から事情聴取を任された私は、責任の重さに緊張を感じました。
女性の名前はKさん。
付き添った男性はKさんの内縁者でした。
Kさんが胸に抱いている子どもはその内縁者との間にできた子どもで「自宅で死んでいる」と説明している子どもはKさんが以前婚姻していた相手との間の子どもだということでした。
実は、Kさんに付き添ってきた内縁者の男性は、警察署では有名なホームレス。
以前は警察署に近い公園で生活していましたが、このところ姿を見ないとウワサになっていた人物でした。
「それで、どんな状況なんですか?」
私のお尋ねに、Kさんはボソボソと答えました。
一昨日、おもらしをしたんです。
何度も言い聞かせているのにトイレにもいかず。
だから、お仕置きに正座をさせて、ヤカンで沸かしたお湯を股間にかけました。
「あつい、あつい」と泣き叫びましたが、しつけのつもりでやりました。
腹が立っていたので、その日は板張りの廊下で寝かせました。
そこまでしたのに、また昨日もおもらしをしました。
だから、あまりにも頭にきて、布団叩きで顔を何度も殴りました。
そのあと、拳でも顔面や身体を殴りました。
少したったあとで、私がこたつで寝ていたら本人が謝りにきたので、一緒にこたつで寝かせました。
翌日、目が覚めたら、子どもが死んで冷たくなっていました。
ひと通りの話を聞いてメモを取った私は、頭の中で上司への説明を整理していました。
この事件は殺人事件なのか、それとも傷害致死なのか。
どちらにしても、重たい事件になることは確実でした。
いや、まだ確実ともいえません。
なぜなら、その子どもが生きている可能性は捨てきれないからです。
子どもの名前はNくん。
まだわずか4歳の男の子でした。
わずか4歳の子どもに、しつけと称して熱湯をかける、布団叩きで顔面を殴る…
狂気の沙汰としか思えない説明を、気が抜けた様子で淡々と話す母親。
私は言いようもない苛立ちと、まるで吐き気にも似た気持ちの悪さを感じていました。
遺体との対面…劣悪な育児環境
ひと通りの説明を上司に報告したところ、やはり上司の一言は予想どおりのものでした。
「まだ死んでるって確定じゃないよな」
そのとおりです。
まだ生きている可能性にかけたいという気持ちがありました。
私たちは、Kさんだけを連れて自宅アパートに行きました。
「お母さんはここで待っていてください」
女性警察官に付き添いを頼んでKさんを捜査用車両に残し、私と上司の2人で自宅に入りました。
アパートといっても、昔ながらの造りで決して広くはありません。
玄関ドアをあければ、短い廊下があって磨りガラスの引き戸の向こうに6畳程度の狭い居間がありました。
居間の真ん中には、こたつがありました。
部屋の入り口側からみると奥側の面のこたつ布団が、少しだけこんもりとしていました。
そこにNくんがいる…
明らかに人がいるこたつ布団を手でめくると、そこには、顔面に青あざを作って腫れ上がり、切り傷だらけで蒼白した子どもが、息もせずに横たわっていました。
死んでいる。
警察官としては、医師の所見なしでそんなことを断定していいわけではありませんが、やはり一目みて「死んでいる」とわかりました。
こたつは電源が入っていて、Nくんの身体は熱で温められていましたが、こたつ布団を被せられただけだった顔面や頭部は、四肢と違って死者の冷たさを感じました。
Nくんは、パンツ1枚の裸で死んでいました。
季節は冬。
いくら暖房があっても、それでなくても抵抗力が弱い子どもがこんな格好をしていれば、間違いなく風邪をこじらせてしまうだろう状態でした。
室内は雑然としていました。
6畳程度の和室は、前にいつ掃除をしたのかもわからないくらい服やゴミが散乱していて、こたつテーブルの上も、これ以上はものが置けないほどにゴミがあふれていました。
ふと壁に目をやると、赤い点がついていました。
赤いといっても、キレイな赤ではありません。
少し黒ずんだ、私たちが見慣れた赤でした。
「壁に血が飛び散っている…」
壁に飛び散った血は、古いものではありませんでした。
おそらく、昨日の「布団叩きで殴った」という時に飛び散ったものだとわかりました。
凄惨な虐待がおこなわれた生々しい現場。
しかも、わずか4歳の子どもを育てている最中としてはあまりにも劣悪な室内環境に、私の気持ち悪さはますます増していきました。
母親の扱いは『自首』に
現場で写真撮影をおこない、応援を呼んでNくんの遺体は警察署に移動させることになりました。
私と上司は、Kさんを連れていた都合から先に警察署に引き上げました。
そこで、刑事課長の指揮を受けるために報告に戻ると、思いがけない指示が飛んできました。
「これ、自首だから最初に窓口で受けたお前が自首を受け付けろ」
たしかに、Kさんが「子どもを殺した」と警察署に届け出るまで、警察は事件が起きていることを認知していませんでした。
捜査機関が認知していない犯罪事件を自ら申告することを『自首』といいます。
よく刑事ドラマで殺人犯が捜査の手を逃れながら、家族から「もう自首して」なんて言われているシーンがありますが、あれは『自首』にはなりません。
そこで警察署に出向いても、それは自首ではなく単なる『出頭』で、なんの保護も受けません。
ところが、自首の場合は罪が減免されるため、たとえ刑事裁判にかけられたとしてもKさんの罪はいく分か軽くなることが明らかでした。
あんなにも凄惨な遺体を目にしてしまった私にとって、罪の減免を許す自首を受け付ける役目を任されることに不快感をおぼえました。
誰かに代わってもらいたいという思いはありましたが、それもできません。
なぜなら、実際に自首の対応をしたのが私自身だったからです。
しかも、自首は警察官であれば誰でも受け付けられるわけではありません。
自首は法律上で重要な手続きにあたるため、巡査部長以上の階級にある警察官しか受理できないという決まりがあります。
巡査部長に昇任したばかりで何事も経験を積む必要があった私の立場では、いやだと断るわけにも、階級が下の後輩に押し付けることもできなかったのです。
そもそも、自首の受理自体が非常にレアな経験です。
警察官になって退職するまでに、自首を受け付けたことがある警察官なんて、おそらく全体の1%もいないでしょう。
「あそこの取調室を使っていいから、自首調書を巻け」
課長からの指示を受けて、自首調書を作成する準備にとりかかりました。
自首の受理には自首調書の作成が必要です。
自首調書とは、ご存知の方も多い『供述調書』のひとつなのですが、若干の様式が異なっています。
日ごろからキャビネットでみかけるたびに「これって、使うことあるのかな…」と感じていましたが、まさか自分が使う日が来るとは思ってもいませんでした。
泣き叫ぶ母親と泣き叫ぶ刑事…
自首調書は、わりとカンタンな内容を聴取して作成すれば済むものです。
『犯罪事実』といって、いつ、どこで、どんな犯罪を犯しましたという内容が充足していれば良い程度のもので、たとえば新聞記事に掲載される
「犯人は、〇月〇日の深夜、〇〇において通行人に対して暴行を加えた疑い。警察の取調べに対して犯人は『酒に酔って覚えていない』と供述している」
という説明ができればOKです。
取調室では、相手が女性であるために女性警察官の補助をつけるか、もしくは取調室のドアを閉めずに対応するというルールがあります。
私に限らず、刑事は誰もが取調室を「一対一の真剣勝負の場所」だと考えているので、ほかの警察官が立ち入ることを好みません。
もちろん私も「補助が入るくらいならドアを開けておいたほうがいい」と後者を選択しました。
Kさんは、取調室でも淡々と状況を供述していました。
その中で、さらに事件当時のことが明らかになっていきました。
たくさん殴ってケガもさせて、それでも腹立たしさが収まらずにこたつで寝ころんでいた私のところにNがきました。
私は「かわいそうなことをしたな」と反省して「こっちにおいで」とこたつ布団をめくってNをこたつの中にいれてあげました。
するとNは「おかあさん、だいすきだよ」といって、私にギュッと抱き着いてきたんです。
ここまで説明すると、それまでは淡々と話してきたKさんが、供述を止めて、鼻をすすり、涙声で言いました。
「ごめんね、明日は優しくするからね」とNの身体を抱きしめたまま、私も寝てしまいました。
それなのに、起きたらNは死んでたんです…
こう話したKさんは、それまでずっと気が抜けた様子で淡々と供述していたのに、急に泣きはじめたのです。
その姿を目の前にした私は、ガマンの限界を超えてしまいました。
それでなくても、ついさっき、冷たくなって息絶えたNくんの姿を見てきたばかり。
Nくんの顔面は、部屋に飾られていた写真と比べても同じ子だとは判別できないほどに腫れ上がり、新旧ふくめて多数の内出血と生傷だらけだったのです。
そんなNくんは、お母さんであるKさんのことを嫌ってはいませんでした。
それどころか、この世に遺した最期のことばは「おかあさん、だいすき」だったのです。
最初から抱えてきた気持ち悪さが爆発してしまいました。
あんたが殺したんじゃないか!
好きなら殺すなよ!
優しくしたいんだったら殺すなよ!
それだけ殴っても「おかあさんだいすき」って言ってくれる子どもを、あんた自身が殺したんだよ!
きっと、取調べ中にこんなことをいってはいけないはずです。
刑事ドラマに出てくるような取調べは、被疑者の権利だの可視化だのと騒がれている現代では「あってはならないもの」なのですから。
それでも、私はガマンできませんでした。
ガマンの限界に達していたので、私自身、泣き叫びながらKさんを罵倒しました。
それまでにも、なんどか取調べ中に大声を出した経験はありました。
でも、それは多分に演技めいたところがあって、いってみれば「ここが刑事としての怒りどころ」という部分を演出していただけでした。
自然と感情に流されて取調べをしている相手に大声を出したのは初めてでした。
するとKさんも大声で泣き叫び始めました。
大好きだったのに!大好きだったのに!大好きだったのに!
それまでの気の抜けた、淡々とした様子からは想像もできないくらいの大声で「大好きだったのに」を連呼しながら泣き叫んだのでした。
取調室の異様な雰囲気を察知した同僚が「大丈夫か?」と声をかけにきたので平静を取り戻しましたが、そのままだったら取調べを継続できたのかも怪しかったでしょう。
それほどに、私はKさんのことが許せない気持ちでいっぱいでした。
事件のてん末は…
冷静を欠きながらも自首調書を取り終えた私は、通常の勤務に戻りました。
当日の間にKさんは傷害致死罪で逮捕状が発付されて逮捕。
翌日の司法解剖の結果、Nくんは暴行による急性硬膜下血腫によって死亡したことが確認されました。
翌年、刑事裁判の判決は懲役9年の実刑判決が下されました。
自首が成立するため、Kさん側の弁護士は減軽を求めました。
ところが、実は今回の自首はKさんが自主的におこなったものではなく、同居していた内縁者が「警察にいったほうがいい」と出頭しようとして仕方なくついてきたものだったため、裁判官が自首による減免を認めなかったのです。
「実の子どもを暴行死させてたったの9年かよ」
そう感じる方も多いでしょう。
同感です。
私だってそう思います。
しかし、Kさんは獄中でも、出所後の生活でも、何度も何度も頭の中でリフレインされる「おかあさん、だいすきだよ」に悩まされることでしょう。
けなげな子どもの一言が、呪いの言葉になってKさんを生涯縛り続けるのです。
どんなに「大好きだった」と叫んでも、もうNくんには届きません。
抱きしめたところで、ギュッと抱き返してくれることもありません。
今日、あなたの子どもが粗相をしてしまい、きつく叱りつけたのだとすれば、明日の朝はせめて何も覚えていなかったかのように優しく「おはよう」と声をかけてあげてください。
どんなにひどい言葉を投げかけていたとしても、もしかして手をあげていたとしても、そんなことはお構いなしです。
子どもは心の底から「おかあさん、だいすき」と思っているのですから。
最後にお願いです
子育て真っ最中の方、とくに子どもとの時間が長いお母さんは、きっと何度か「叩いた」という経験をお持ちでしょう。
もちろん、今回の記事のように道具を持ち出したり、拳を握りしめて殴りつけたような経験がある方は少ないはずです。
でも、大人の力加減と子どもの身体を同じにしてはいけません。
もしかすると、ついカッとなって手をあげてしまったときには、思いもよらず強い力が入っているかもしれません。
それでも何事も起きていないのは、きっと『運』が良いだけなのでしょう。
もし「叩いてでもしつけが必要」という場面があるとすれば、悪いことをした部分だけにしてあげませんか?
モノをなげれば手のひらをぺちん、モノを蹴ったり踏んだりしたら足の甲をぺちん、言葉遣いが悪ければ唇をぎゅっ…
勢いよくやっていれば、それはしつけの域を超えて『暴力』になります。
しかも、それがお母さんの気分や機嫌に左右されたものだとすれば、単なる八つ当たりです。
お父さんならなおのこと、力加減がわからなかったりもするでしょうね。
「だいすき」といってくれる子どもを自らの手で失いたくなければ、子どもに暴力という刃を向けるのをやめましょう。
痛ましい児童虐待事件が二度と発生しないように祈るばかりです。
【追記】3月12日22時
本日の明け方にアップしたばかりの本記事ですが、私の一番人気の記事を追い抜く勢いでPV数が増え続けています。
たくさんの方に読んでいただき、児童虐待の悲惨な状況について考えていただく機会になれば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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