その発言に「責任」が持てますか?
はじめに
Twitterのタイムラインでとある病院内であった分娩で赤ちゃんの積極的蘇生を行わず、26分後に赤ちゃんが亡くなった症例に対し、ある人が医療者を批判していた。それに対し、医療者の多くが反論していた。
その分娩はどういう分娩であったか。妊娠23週台で、赤ちゃんは500gどころかその半分を少し超えるくらいの体重であった。赤ちゃんの予後関わるアプガースコアは1分後3点、3分後1点。アプガースコアが時間を追うごとに悪くなっている点から、私は蘇生が厳しいことはわかった。さらにその症例を追うと、突然のお産ではなく、医師より説明があり、家族が「積極的蘇生は望まない。」という意思を表していた。しかし、意思は表していたとは言え、死亡確認がされるまでの時間が26分というところから、医療者がその間、赤ちゃんと家族のために何をしてくれたか私なりに想像はできた。
時々、インターネット上には「産まない権利」「蘇生しない権利」というものを批判する人がいる。私は医療に携わってきた者としてちょっと物申したくなったので、ここにぶつけさせていただく。
産まない権利
日本では「産まない権利」が認められている。*注
この「産まない権利」はどこの国でもあるわけではない。中には禁止している国もある。
私は職業柄、「生」の現場ばかりにいるように思われる。本音を言うと「生」の現場に居たい。だが、それではすべての女性は救えないのだ。
私は「産まない」処置にこれまで何度も携わってきた。
その中で私はある人と出会った。
その人は、ずっと悩んでいた。涙も流していた。
「自分の選択肢が正しい判断なのか。」
私は彼女の話を聞いた。別のスタッフは、
「私があなたと同じ立場だったら、あなたと同じ選択肢を選んでいる。」
と彼女に言ったそうだ。そのスタッフは彼女と同世代であったから、その意見も最もだと思う。私は、別の意見を言った。
「私はですね、あなたに『産んでください。』って言うつもりはないんです。だって、もしそれであなたが私の提言で『産む』選択をしてこれから産むまでに何もないとは限らないし、無事産んだとしても子どもを虐待して殺してしまったらそれではあなた『だけ』が殺人者となってしまう。私はあなたの『産む』を強要してもあなたの妊娠・出産、これからの人生の責任は取れないです。だから、あなたの意思に寄り添います。」
望まない妊娠は虐待のリスクの一つである。
私はいつも思う、「産まない」選択を批判する人は、産むこと、育ていることがいかに大変か知っていて言っているのだろうか?
「養子にすればいいじゃない。」
と言う反論に対しては、
「妊娠・出産が無事に済むと思っているんですか。」
と言っておく。
妊婦による身体的影響や精神面の影響、核家族化が進み支援も不十分な中で「自分が決めて産むんだろ。」と言って電車の席を譲らない「マタハラ」が行われているこの日本ではたとえ正常な経過であっても妊婦さんは苦労している。
だから私は、「産まない権利」を批判する前に、
あらゆる方向からの妊娠〜出産環境を整えてからにしていただきたい。
実際、行政や医療はその充実のために努力している。
*注記
日本では産まない権利が認められていると書いていますが、正確には妊娠21週6日までです。なぜ21週6日かと言いますと、それまでに生まれた胎児は胎外で生存不可能と言われているからです。
ですが、妊娠22週で生存可能であるか、というと現実は厳しいのです。次に文章に繋がります。
蘇生する・しない権利
23週の子を蘇生しなかったということだが、
万が一助かったとしても、その後の子どもと家族の人生は大変だ。
赤ちゃんは、ゼラチンのような皮膚にモニターがつけられ、手で触れると壊れそうな弱さを感じる。それでも途中でなくなることだってあるし、成長しても障害が残ることもある。その家族の生活や負担を想像できるだろうか。
「蘇生する・しない」は年齢関係なくどの人にも存在する権利である。
その意見は時々、本人と家族の意思が一致しない。
私も「蘇生する」の選択をしたことがある。
私の母だ。母はガン治療が行えない『ターミナル』であった。
母は、せん妄になる前から「もう無理。」と言っていた。
今思えばその時点で、私たち家族は「選ぶ」べきだった。
母の個室に毎日、家族が交代で付き添った。介護に慣れていない父や兄は寝ずに毎晩付き添っていた。介護経験がある兄でさえ、付き添いが終わるとぐったりしていた。
「本当に付き添いが必要なの?」
と父に言ったが、
「看護師さんに『今日も泊まりますよね。』と言われる。」
と父が返してきた。
もし、それが強要であるならば看護師の「エゴ」の押し付けやろ。
私も実際付き添いをしていて、病棟の「家族にお任せの看護」に違和感を感じていた。訴えの多い母の対応を家族にお任せしているよね。
病棟の看護師は
「お父さんは立派ね〜、毎日付き添って。」
なんて褒め称えていたが、父はボロボロだった。
自損事故も起こしていた。
なぜ父はいつも私の車で自損事故を起こすのだろう。
もしその違和感が違うのであれば、家族はそれだけ追い込まれていた。
っていうことを知って欲しい。
なので母が急変した時は、たまたま父が不在であったことを利用して私は、
「家族が納得できる死に方をさせてください。」
と蘇生をお願いしたのだ。
私以外の家族は「母が復活する」と思ってこれまでも付き添っていた。
そして延命するには、病棟を離れる必要があるからだった。だから、私は付き添う必要がないHCUへの転棟をお願いしたのだ。距離をとって冷静に判断する必要がある。
その病院というか当時はまだ「緩和ケア」病棟はなかったので、そうするしかなかった。
延命した結果、免疫が低下した母の顔にヘルペスができた。私が覚えている最後の母の言葉は、口腔ケアをする看護師に
「痛かっていいよるやろうが。」
だった。その母の様子を見て、サプリメントを飲めば復活できると思っていた兄が最後に「母が死に向かっている」ことを認識し、家族の誰もが一致して「もう次は延命しない。」の意思確認をした。
蘇生をすることで、私は「母を苦しめてしまったなぁ」と今でも後悔している。
蘇生する・しないの判断は難しい。
本人がまだ意思表示しているならまだしも、妊娠23週の赤ちゃんにどう意思表示ができるのだ。だから、代理者である家族に十分な説明がなされた。
本人が意思表示していても、家族への意思が確認される。
本人と家族の意見が分かれるのは、その家族がそもそも滅多に面会にこない、ということがある。
本人の苦しみを見ていないのだ。
批判者も同じように私は感じた。
昔、mixiの掲示板で中絶反対派と言い合ったことがある。その時に、
「じゃあ、あなたはもし彼女が妊娠していたら、逃げずに向き合うんんですね。」
と中絶反対派の男性に言ったら、
「逃げるかもしれないですね。」
と返ってきた。笑った。言うだけ言って逃げるのかよ。
その時点でこの人は自分の発言に責任がないな、と思って話すのをやめた。
終わりに
批判するのは簡単だけど、「一部分だけを切り取って批判する」のはちょっと危ないなと批判者をみて思った。しかし、なぜこう考えが凝り固まってしまったんだろう、と批判者の背景も気になる。
批判は、相手をよく知らないことから始まる気がするけど、SNSをみていると、話が全く通じない人もいるから、そういう場合は無視するしかないなぁ、と思っている。
ただ困ったことにその批判者は医療者ではなく、政治に関わっている人だったようなので、そんな状態で政治に関わっているのかと思うと、正直ちょっと怖い🤔