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つまらん人生やった。
おばあちゃんが、昔よく、そう言ってた。
「つまらん人生やった」と。
その時は深く考えたこともなかった。
おばあちゃんは、小学校の時に親を二人とも病気で亡くし、
街では誰もが知っている、優秀で有名な兄5人に大事に育てられてきた。
亡くなった母も、びっくりするくらい綺麗な人だったから、「小町娘」とすら呼ばれていて、さぞかし有名な一家だった。
おばあちゃんは、お兄さんたちがいたから、寂しい思いも不便な暮らしもしたことはなかったらしい。
でも、結婚するとき兄たちに大反対され、もはや誰も結婚式にはきてくれなかったみたい。
お兄さんたちの感は当たってたと思う。
結婚してから、本当に苦労が多い人だった。
どんな苦労があったかは、実際に本人から聞くこともあったし、母から聞くこともあったけど、聞けば聞くほど我慢の人生だったなと思う。
それでも、おじいちゃんが死ぬとき、おばあちゃんは泣いていた。
いつもぐちぐちと喧嘩をしては言い合いをしていた二人だけど、
それを見て「あー、やっぱり、好きだったんだな。おじいちゃんのこと。」と思った。
お兄さんたちの反対を押し切ってでも結婚して、
たくさん苦労はしたけど、結局二人の恋は、最後まで本物だったんだなって。
それでも、やっぱりおばあちゃんはよく「つまらん人生やった」とぼやいていたし、苦労した事に変わりはない。
きっともう一度人生を選択する権利があれば、おじいちゃんを選びはしなかったんじゃないかな。
わたしは、死ぬ間際に「つまらん人生やった」と思う人生が、どんなものなのか。今になってようやく考えてみた。
「しんどい人生やった」「苦労した人生やった」でもなく
「つまらん人生やった」は、何よりも悲しい気がした。
自分はどんな人生で終わりたいんだろう。
少なくとも「つまらん人生やった」、そう言わずに済むことを願う。
自分の人生を生きるのは自分自身しかいない。
変えられるのも、自分しかいない。
生まれ変わって、もしまた同じ人生を歩むことになっても
「ラッキー」と思える人生にしたい。
おばあちゃんは、わたしに人生を教えてくれた。
「つまらん人生やった」、そのたった一言で。
ありがとう。もっと上手く生きてみるよ。