ガクヅケ木田とNANAのハチのシンクロ率
有名な方々にどのような敬称をつけたら良いのかわからないので、ここでは一切の敬称を略します。
NANAのハチが好きだ。
全世界のどんな人間も、NANAのハチの可愛さには勝てないのだ。あまりの可愛さに負けてあげたくなる、そんなずるい可愛さなのだ。
自分はハチへのラブを拗らせに拗らせているようで
無自覚にも、好きになる人も、友達も、みんなハチ要素がある人ばかりを集めている。
そんな中ガクヅケ木田が現れた。めちゃくちゃ性格怖くておもしろ!と思い、バキ童チャンネルを経由してガクヅケのあつあつ初体験チャンネル、マセキ芸能社公式チャンネルなどを見ていた。
関連動画に唖然とした。
後輩君の人だとは全く考え付かなかったのだ。
ディグると言う言葉が嫌いだなぁと思いながらわかりやすいのでこの単語を使いますが、学校に嫌気がさして普遍的な不登校になっていた自分は、
空気の悪い部屋から精神的に出て行きたくて何かないかとインターネットの世界を掻き分けていたら、後輩君にたどり着いた。
自分には長文で語るほどの曲というもの対する知識もないし、音楽を作っていたけど音楽が嫌いだから、何がどうだと言う感想はかけない。
素直に、好きだなあこの曲 と思ったのだ。それがたまらなく嬉しかった。
音楽というもので固めている界隈のことがとにかく嫌いで、なんで好き!とかこのリリックで号泣した!とかそういう純粋な心の動きをバカにしてくるんだろうと思っていた。
その感想を「浅い」言う人たちから出る、ビジネスの横文字を使う人たちをバカにしながら音楽の横文字を使って、音楽を踏み台にしてオナニーしてるとわかる言葉たちが、死ねと思うくらい嫌いだった。
そういうのに囲まれてる環境で、素直に好きだと、涙が出てきた大切にしたい曲が後輩君だった。
バキ童チャンネルに映るガクヅケ気だと、後輩君をつくった人が同一人物なのが信じられなくて面白すぎて腹を抱えて笑った。
意味わかんなすぎて、虚言でした!と言われてもびっくりしないなあと一通り笑いつくした。
でもなんか、この人素直なんだ。計算して作られてる素直だったとしても、騙されてたいと、しょうがないな〜と思いながらこの素直さに負けていたいと思うような強い素直さだ。
頭の中で、ガクヅケ木田とNANAのハチが並んだ。
ガクヅケ木田の可愛さって、まんまNANAのハチなのだ。
もちろん性格は違うし、性格が同じ人なんていない。
ここからは木田とハチの素直さとかその他の重なっている部分を勝手に妄想で書きます。読んでくれる方がいるなら、ここは飛ばしていただいても構わないです。
ふたりは
欲望にも感情にも素直で、素直であることを通して生きていく術を何かしらで身につけていて、
母親がちょっと他の家庭より自分のことをわかってくれるタイプの家庭に生まれてる感じがして、とにかく好かれるかとにかく嫌われる極端な人間関係が多くて、
可愛さっていうものに対してなんらかの執着を持っていそうで、分かった上で空気を読まずにいたり、分かった上で人を傷つけることをしてみたり、
人間との関わりで、これやったらどうなるんだろうって気持ちを持っていたり、
まじで欲望に素直すぎて好きな人とはすぐに仲良くなれるのに、死ぬほど尽くして尽くして尽くしまくって自分で区切りをつけて違うものに目を向けたり、誰かが助けてくれて助かったり(可愛いからみんなほっとけない)
そう言う感じの可愛さが、このふたりは共通していると思う。
いいなぁ、心底羨ましい。
要は「空気を読んだ上で空気を壊せる、素直で可愛くてしゃーないなーと他人が助けの手を差し伸べたくなっちゃう系可愛い」なのだ。
多くの人がもつ可愛いって錆びついた鎖のようなもので、なかなか変えられないしニュー可愛いを身に纏いたくなったら、
錆びついた鎖を締め付けて新しい鎖を纏うか、死ぬ方が辛い痛みを感じる覚悟の上で鎖を外していくかとかしなきゃいけない。
だからみんな、他人の可愛さが自分より上だとむかついたり羨望したり、嫌ったり好いたりするんだと
思う。
木田もハチも、生き延びるために身につけるしかなかった可愛さが錆びつく前に鎖ではなく綺麗なアクセサリーになっていったんだと思う。
しなやかで強かなのだ。それは錆びついた鎖では不可能な揺れ方をして今日もどこかで輝いている。