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ここにしかない景色〜失敗人生経験・助産師編〜
私の自己紹介から。
1980年長野県出生、愛知県在住、夫と息子くんトイプードルの娘ちゃんの3人と1匹家族。太陽星座が山羊座、月星座が蟹座、ASDは天秤座。趣味はスキューバダイビング、20代の頃は大型自動二輪の免許をとり、ハーレーに乗るアクティブタイプの人間です。
性格はよく言えば、”しっかりしていて、人の感情に共感力が強く、人当たりがいい”。悪く言えば、”こだわりが強くて頑固者、影響されやすく、表面的にいい人に見える人”です。性格や長所短所は占星術で簡単にわかります。
小さい頃から、不思議な世界、宇宙のこと、怪奇現象、不思議な能力、都市伝説、スピリチュアルなど、目に見えない世界に好奇心旺盛でした。鉱石療法やオーラソーマなど日本だとスピリチュアルに分類せれる療法を勉強してきました。不思議な力のある人(特別な人)に見られたかったからです。小さい頃は、変なことを大人にいう子供だったので、親や先生からは嫌われていました。
現在は、波動療法マスター3年コースとCHhomのホメオパシープロコース3年生として見えない世界の学びは続いております。
助産師になったきっかけは、子供を出産した翌年にリーマンショックが起こり、夫の給料とボーナスが激減し家計がピンチに・・・。内心「夫の会社の先は暗いぞ。私が大黒柱にならないと行けない日が来る気がするから手に職をつけないとヤバいぞ!!看護師目指すぞ!!」という考えと同時に、「看護師になったらお金もたくさんもらえるから幸せに生きられるぞ!!」と言う考えも持っておりました。
ちょうどのタイミングで地元の4流大学が看護学部を開設すると情報を聞き、子育ての合間に受験勉強をし一般入試を1発でパスして、看護大学に入学できました。当時は看護師と保健師の両方の国家試験受験資格が全員に与えられるカリキュラムでした。保健師まで取れるなんてラッキーと思っていましたが、割り当てられたゼミ担当の講師が助産師。その講師に言われた「出産経験ある学生はあなたしかいないし、一番産婦さんの気持ちがわかる人だから、助産課程の選考試験受けてみない?」をきっかけに、選考試験を受け、助産課程へ進むことになります。看護大学4年間の中で1年半以上は実習です。それに加えて助産課程の実習は、分娩介助10例終わるまでエンドレス。この4年間は、子育てと勉強、実習に追われ、どうやって生きていたのか?と言うぐらい必死で、ほとんど記憶にございません状態。子育てに追われといっても、トイレトレーニングは幼稚園の先生にやってもらいました。近所の方々は、昭和の雰囲気でみんなで子供たちを育てる方々だったので、家から出たらお母さん、お父さんがたくさんいて、叱るも褒めるもしてくれ育ててくれるありがたい環境でした。
大学を無事4年で卒業し、3つの国家資格を合格。卒業後は、総合母子周産期センターのある総合病院に就職。産科単独病棟、産科外来、NICU、GCU、MFICUを周り経験しました。今では当たり前に知られている”無痛分娩”をアメリカで学び日本で最初に導入し始めた麻酔科医がいましたので、無痛分娩介助も経験。三子ちゃんママの妊娠管理や双子ちゃんの経膣分娩、出生後すぐのbabyちゃんの挿管、エコーを使っての助産診断など高度な助産技術、産科救急、帝王切開のOPE介助など高度な助産技術を身につけました。それと同時に、産婆さんのような大先輩助産師が何人もいたので、母乳ケア、お産の介助など、「産婆の技」も手取り足取り、時に手を叩かれながら教えてもらえる、ありがたい環境で4年間働きました。総合病院は、異常なお産と分類される症例が多く、なかなか経膣分娩介助ができなかったので、今度はその経験値を上げるため、地元の産婦人科クリニックで4年勤め、合計300例以上のお産介助し、助産師外来の立ち上げも経験しました。
このクリニックで私の助産師歴上2つの事件が起こります!!
1つめは、常位胎盤早期剥離と言って、babyちゃんが生まれる前に胎盤が剥がれてしまう産婦さんのお産がとんでもないことに結果になったこと。
2つめは、その事例から安全管理の面で意見したことで、今では絶対にありえないのですが、表向き自主退職の実質解雇をさせられました。理由は、病棟責任者のパート助産師を悲しませたから。目が点になり、心にあったやる気の火がバケツで水をぶっかけられたように不完全燃焼で消えました。
この2つの事件が起こる1ヶ月程前、世界3大パワースポットの1つセドナに行くチャンス到来。旅行会社のツアーではなく、自身がネイティブアメリカン部族のオグララ・ラコタ族と縁がある不思議な世界の先生主催の、セドナ在住20年以上の日本人ガイドさん案内の少人数で行く完全プライベートツアー。もちろん、「ここに行けば私の人生絶対にいい方に変わる!!」と期待大で参加しました。(セドナツアーの内容は、またどこかでお話しします。ちなみに、V6三宅健くんの影響でネイティブアメリカンに興味をもち、GORO'sアクセサリーも買い漁りました。)
人生変わったのは、間違いなかったのですが、悪い方に変わってしまい超不幸の人生どん底。”なぜこんな目に私が合わないと行けないの!!”と怒りまくり、不機嫌で不幸をかき集める、ブサイクな顔で家族に当たりまくる、邪の存在として過ごす中で、ふとセドナの現地ガイドをしてくれた、セドナママと子宮の洞窟に行った時のやりとりを思い出します。「自分がやりたい療法を提供する助産院をやればいいじゃない。」と言われ、「いつかやります。」と言ったやりとりを。
この頃の私は、病院でのお産や病院主体での妊娠や産後の管理に疑問を持っていて、昔のように自宅での自然なお産をする方が増えたら、産後うつにならず幸せな家族生活を送れる人が増えるのでは?と考え始めているころで、自然療法や代替療法を勉強していました。目的の裏にある私の思惑は、『たくさんのことを勉強し、実践できるようになれば認められて幸せになれる」と思っていたことがきっかけです。現代医療では、目に見えない心の傷を癒すことはできないこと、数分診療で本音を聞き出すことも困っていることも聞くことができないと限界を感じていました。
短所から見る私は、頑固者でこだわりが強いので、既存の病院の産科やクリニックで働く気は全くなし。テコでも働きになんていかない状態。けれども「助産師の仕事はしたい!」ならどうする?自分で開くしかないかぁ助産院。けれども事業計画書書いて、ローン組んで助産院立ち上げる?そんな度胸はない。そもそも未来を予測しながらそれを実現させられるかの信頼度でお金を借りるという仕組みが、私には全く理解できません。
「さてどうする?」と調べていると、固定した場所がいらない申請書出せばできる訪問助産院があるとわかり、保健所に申請に行き、病院でやっていることとは違う自然療法・波動療法の助産技術で産前産後ケアをする訪問助産院を始めました。が、お産を扱わず、自費で、時間をかけて改善に導く自然療法・波動療法を受けいた!!という人は世の中2割弱しかいないことに気付かされます。しかも、海外では外来もある自然療法・波動療法は、時間はかかるけど改善すると言うことはわかっていても、詳細のエビデンスが説明できないという状況。さらに胎児期のbabyちゃんから、対話できるまでの子供の心理は学校では習わず、全くわからない状態。助産院を始めても、さらなる学びを深めるため(お金のため)に、療養型施設での夜間看護師の仕事をすることに。加えて、大学時代に私を鍛え抜き、助産師の土台を築いてくれた、鬼龍院翔子先生からの依頼で、夏季限定の助産師課程の臨地実習指導者をすることに。たくさんの顔を持つ人として日々忙しい人と周りに思われ、全然お誘いされない毎日を過ごす今に至ります。開運や占いは、YouTubeや本を読んで独学で学んでおります。
セドナで抱き口にした夢は、その内容が宿命にあると強制終了のなる事が起こり、路線変更せざるおえない出来事を通して、最短で現実化する体験をしました。
起こること全ては表裏一体。陰の視点で見て・感じるのか?陽の視点で見て・感じるのか?自分次第で幸せか不幸か変わることを体感で教えてもらいました。
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今日はここまで。続きは明日へ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊
☆ちょこっと情報☆
今日はコニュニケーションの星、水星が蠍座へ移動するタイミング。
蠍座は心の奥底にある世界のこと。新たな『秘密の関係』のつながりが生まれる波動で包まれています。
☆information☆
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holistic助産院MOON LODGE 和田貴美恵
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