義実家がやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!Part2
2週間後に日本に引っ越すからね!
というアメリカに住む義妹から受けたとんでもないカミングアウト。
そこから走り続けていよいよ迎えた日。
節分でした。
じゃあ太巻きとカリフォルニアロールにしよう。
ガチガチの日本食だけじゃ、しんどいかもしれないからね。
カリフォルニアロールとドラゴンロール、普通の太巻きも作って義妹一家をお出迎え。
長旅の疲れもなんのその、一家は笑顔を見せてくれた。
子供たちもお互い従兄弟(従姉妹)に会えて嬉しそう。
案外いい滑り出しじゃん?
と思ったのも束の間。
元パートナーは妹たちを置いて仕事に戻ってしまった。
えっ、待て待て待て。
我が家は夕飯は大黒柱が戻るまで待つスタイルだった。
時間は夕方5時過ぎ。
食事の用意できてるよ、とメッセージで伝えても「もうちょっとで戻る」との返事。
ここで困るのは、この人の「もうちょっと」とか「あと10分」は一切信用ならないということ。
それを指摘すると「ロサンゼルス時間だから」とか平気でのたまう。(彼はカリフォルニア出身)
後から知ったが、分単位で時間に正確なのは日本人くらい、というのは本当らしい。
ともかく。
お腹を空かせた子供達。
次第に不機嫌になっていく義妹。
焦る私。
子供たちで場を繋ぐのにも限界がある。
先に食べさせればいいんだろうけど、久々に会う妹だし彼だって一緒に食事もしたいだろう。
どうしよう。
そうして我が家の大黒柱であり、義妹一家を日本に呼び寄せた張本人が帰宅したのは夜7時過ぎ。
ようやく夕飯だ。
義妹からは「うちは夕飯はだいたい夕方5時くらいなんだけどね」とかお小言をいただく始末。
そうだよね時差もあるし疲れてるよねごめんね、と申し訳なさでひたすら「ソーリー」を繰り返した。
冷や汗をかきながら、取り分けも終えてようやく食卓につく。
はーこれでちょっとゆっくりできるわぁ...。
と座ったところで、食事が始まって落ち着いたのか義妹が話しかけてきた。
「それで、ママについては何か聞いてる?」
はい???
聞いてないです。なんですか。
元パートナーを見る。
「彼女も越してくるんだよ」
ママ(義母)も!!????
ここで語弊がないように伝えておくが、私は義母が大好きだった。
自身もシングルマザーで子供を育てながら、当時バリバリの男性社会の中を働き続け、生き抜いてきた叩き上げのキャリアウーマン。
会社の財務部トップとしてチームをまとめ上げる豪胆さもありながら、私には実の母のように優しく、時には厳しく(主に掃除や整理整頓について)接してくれた。
英語がうまくなくてごめんなさい。と言うといつも「留学生を受け入れしてたから慣れっこよ!謝らないで」と励ましてくれた。
だから私も彼女を「ママ」と呼び慕っていた。
しかし、しかしだよ。
引っ越してくるとなればまた話は別なのよ。
しかも話を聞くと就労ビザとは違うビザを取得するため時間がかかる。
けれどその準備のためにも日本でやることがたくさんあって、正式に取得できるまではアメリカと日本の行ったり来たりになるらしい。
え、じゃあ家は?どこに住むの?と訊くと
「そりゃこのマンションでしょう」
とツラっと言ってのける元パートナー。
しかし今空き部屋はないはず。
その間ホテルに長期滞在するのか、と尋ねると
「一緒に住めばいいでしょう」
同居前提での計画でした。
だからさぁ、前もって言っといてくれない?
そういうサプライズはいらないのよ。
今でも思う。
思いっきり豆を彼にぶつけておけばよかった。
福でも鬼でも、義母でもなんでもこい。
ここまで来たならやるしかない。
やってやらァ!と意気込んで夜は更けていった。
英語が話せないという問題をすっかり忘れて。