唐突に思い出したので実家に伝わる話を書く。
普段英語がどうとか仕事がどうとか書いて、ちょっとスカした都会感かもしてる私ですが、出身はド田舎。
「豚汁」を地元訛りで言うと「ぶだづる」。
最寄りのコンビニは車で10分。
山越え必須とか全然コンビニエンスじゃない。
自己紹介は「どこどこの誰々の某」。
名前とかじゃなく、どこのエリアの家長の何々、となるのだ。
なので私の場合は「xxの北村の長男の娘」となるわけだ。
そしてこれを言うと大体訊かれる。
「本家?別家?」
この風習?に馴染みがない人はどんな名門なのかと驚かれることかもしれない。
私も良くわかっていないし、家系図がどうなっていて本別が分かれるのかは知らないが、我が家は本家と呼ばれていて、同じ苗字の親戚たちは別家と呼ばれていた。
ただ、ごくごく普通の家だった。
なんなら普通よりお金がなくて、変わってるなーくらいの家だったと思う。
ともかく、私は「本家です」と名乗ると「あー!!○○の孫だや!」と顔や名前を知らなくても通じると言ったわけである。
そんな田舎に生まれ、祖母に育てられた私。
子守唄は軍歌か演歌か白虎隊の歌、寝物語は昔話(祖母が体験した昔の話)だった。
そんな中からふと思い出したものがあったのでお話ししようと思う。
この家にまつわる話である。
あるとき、ふと気になって訊いてみた。
「本家って何?」
早くに夫を亡くし、女手一つで家を切り盛りしてきたこの女傑は、じろり、と隣に横たわる私を見た。
「なにったってなぁ。これは父っちゃ、おめぇのじい様から聞いた話だけどもよ」
ポツポツと話し出す。
祖母は津軽弁に近い訛りなので、ここからは私が翻訳してお伝えしよう。
昔々、おそらくはお侍さんがいた時代の話だと思う。
今でいう岩手県に、私の祖先がいたそうだ。
この祖先は地主として、岩手県のどっかで土地を治めていた。
しかし、ごうつくばりだった彼らは、農民からとんでもない年貢を取り立てていた。
結果、過剰な取り立てに耐えかねた農民は一揆を起こした。
命からがら逃げ延びた祖先は、どうにかして蝦夷(今の北海道)へと下り、本家と呼ばれる元となったとのことだった。
そして、一揆を起こしてなお農民の恨みは消えず、このときにこの家は呪われたらしい。
この呪いのために、男の子が産まれにくいそうだ。
本当かなー?
従姉妹たちのところには男の子産まれてるし。
確かに本家長男の血を継ぐ私に息子がいないのは事実だが、身体を張って伝承の類を否定する気もない。
(祖母からは男の子を産んでくれとせがまれていたが、産まれてきてくれればそれで十分!とどこ吹く風だった)
ちなみに、この祖先がいたという家はまだ残っていて、本家の長男が結婚する際には結婚相手を連れて挨拶をしに行くそうだ。
祖母や私の父も実際に足を運んだらしい。
ただ、もうこの住所を知る人はおらず、私はその場所を探すすべもない。
そもそもこの話も東日本大震災よりずっと昔の話で、家が残っているかどうかも定かではないが。
ていうか、もし家が残っていたとして、私なら長男がどうこうとか関係なしにみんなで遊びに行っちゃうかも。
「祖先の家を見に行こうツアー!」とか言って。
ちょっとだけその土地を踏んでみたかったなぁ、と思う。
そんな実家のお話。
祖母から聞いた話には、第二次世界大戦中に戦闘機の製造場に奉公に行ってえらい目にあったとか、寺のすんごい坊さんとか色々ある。
また思い出したときにつらつらと語らせていただきたい。