私、就職するってよ。
私の英語力がどのように身についたかをお伝えした「義実家がやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を読まれた方は、もしかしたら気になっているかもしれない。
元パートナーは?
元、とついていることからお察しの通り、既に関係は解消されている状態。
義母と義妹が日本に越してきた年に関係解消に至り、元パートナーは家を出て行った。
そこから5年近く、私は残された義実家家族と不思議な関係を続けていくことになる。
とにかく。
子供3人、私1人。
身内はほとんどおらず、支援を頼める人はいない。
生活、していけなくね?
産後うつのようなものと、さまざまなストレスが重なって食事ができなくなったり、実はかなりボロボロだった。
経営者のパートナーだったこともあり、会社からお給金をいただいていたが、全てを賄うには足りない。
せめてバイトを、とも思ったが持病を抱える第三子をフルで預けるには不安がありすぎた。
じゃあ養育費貰えばいいじゃん!と思われるかもしれないが、お互いの養育費についての認識があまりにも違いすぎて、いまだにその溝は埋まっていない。
あれはクリスマス目前。
もはや年を越せない!と愕然した私は、彼に養育費をくれないか、と頼み込んでみた。
確かちょうど子供たちが彼の家で過ごすとかで、義母も連れて駅まで子供たちをお見送りに行った時だったと思う。
義母もいたらなんか上手いこといかないかな〜という打算もあった。
しかし人生そうは上手くいかない。
めちゃくちゃ怒られた。
なんというか、変な方向に話が拗れに拗れてしまったのだ。
しまいに引っ越す引っ越さないという話になってしまった。
何でそうなる?とも思ったが彼には彼なりの理屈があって、それは私と相入れるものではなかったようだ。
普段怒ることのないこの人は、一回沸点に達するとめちゃくちゃ頭が回り、喋り倒す人だった。
カチカチと逃げ場を潰されていくような理詰めをするので、感覚で生きるタイプの私は何も言えなくなる。
10年近く一緒に暮らして、喧嘩は3回。
私も私で、基本的には意見の食い違いがあっても「そういうものかぁ」と受け入れてしまうタイプだった。
なので私が何か反論することがあれば、それは我慢の限界を意味していた。
そんでもって、それがこの時だった。
子供たちを少し離れた場所に待たせて、止まらない両親。
すぎていく時間。
そこに待ったを掛けたのは義母であった。
「良い加減にしなさい」
お金のことで今揉めても、解決しない。
キミコは給料のいい仕事に就くためには、キャリアが必要なんでしょう?
なら私の会社で働けばいい。
ちょうど人手が足りないから、年明けから手伝いという形で週3回、数時間から始めてみるのはどう?
ちょっと私の論点から趣旨はずれているのだが、確かに専業主婦同然の生活をしていた私にとって必要だったのは活きた職歴だった。
ここでコツコツ働けば転職で活きるかもしれないし、給料も私1人で生活を回していけるだけ上げてくれるらしい。
今の落とし所はここだな。
「分かりました」
私、就職するってよ。
ここから私が意を決して退職と引っ越しをするまで、怒涛の5年間を過ごすこととなる。