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米連邦最高裁によるRoe v. Wade判例を覆す決定について。

 米連邦最高裁は24日、ミシシッピ州が2018年に制定した妊娠15週以降の人工妊娠中絶を禁じる州法を違憲だとしていた訴え(Dobbs v. Jackson Women's Health Organization)に対し、最高裁自らによる1973年のRoe v. Wade判例を覆し、合衆国憲法は人工妊娠中絶を権利として保障していないとの判断を下した。(米国において人工妊娠中絶は、1973年の連邦最高裁判例Roe v. Wade及び1992年の連邦最高裁判例Planned Parentfood v. Caseyによって合衆国憲法により保障される権利として、胎児の生存可能性が生じる時期(妊娠24週)までは認められているとされてきた。)

 50年もの間米国司法において指標とされてきた判例が覆されたのは、直接的には連邦が管轄する裁判所の判事の構成が保守派への偏りが極端に強くなったことが原因だといえる。連邦最高裁に関しても、1969年まではリベラル色が強かったが、その後、1986年までの間に次第に保守色を強め、2017年からのトランプ政権以降は更に極度に保守化した。最初の保守派の判事の任命は、ブッシュ(父)政権によるクラレンス・トーマス判事の任命で始まり、その後、ブッシュ(子)政権では、ジョン・ロバーツ判事(長官)、サミュエル・アリート判事が保守派として任命された。ただ、この頃までは、人工妊娠中絶に関するRoe v. Wade判例を見直すような動きはなかった。

 連邦最高裁のなかで、人工妊娠中絶に関するRoe v. Wade判例を見直す動きが出てきたのは、トランプ政権になってからだ。トランプ氏は、共和党の候補として大統領の座を狙うにあたり、それまでの共和党の中心的な支持母体であったエバンゲリッシュ教会のなかでも特に急進保守派である反人工妊娠中絶主義層(胎児の生命保護を尊重する考え方で、PRO-LIFEと呼ばれる)の支持に傾注した。大統領選におけるキャンペーンにおいてトランプ陣営は、終始強固な反人工妊娠中絶の姿勢を貫き、当選した暁には、連邦最高裁判事に保守的で反人工妊娠中絶の思想を持つ人物を任命することを表明した。

 そのような流れの中で、トランプ政権が任命した3人の超保守的な最高裁判事が、ニール・ゴーサッチ、ブレット・カバノー、エイミー・コニー・バレット各判事だ。今回のRoe v. Wade判例を覆す決定では、トランプ政権が任命したこの3人の判事と、ブッシュ(父)政権が任命したトーマス判事、ブッシュ(子)政権が任命したロバーツ判事が、決定に賛成をし、Roe v. Wade判例を覆す決定の起案はブッシュ(子)政権が任命したアリート判事により行われた。起案したアリート判事を含むこれらの6人の保守派の判事が賛成、民主党政権時に任命された3人の判事が反対にまわる、6対3による判決となった。

 最高裁をはじめとする連邦判事職の特徴は、その任期が終身制であるという点であり、一旦任官すれば次に続くいくつもの政権において在職を続け、長く司法判断に影響を及ぼすことになる。トランプ政権は、任命する判事の候補者選定では保守性を重視するのみならず、長期間にわたり司法システムに影響を与えられることを目的に、できるだけ年齢が低い候補者を当てる戦略をとった。そして連邦判事職のもうひとつの特徴が、大統領が自ら候補者を指名でき上院の承認を得るだけで任官に至るという人事承認プロセスだ。上院での共和党のマジョリティー支配が続いたトランプ政権の4年間で、政権はその状況をフルに利用し次々に上院の承認を通し連邦判事に保守的で戦略的司法を志向する若い判事を送り込んだ。その最も象徴的な人事が、連邦最高裁の3人の判事の任命だった。いずれもリベラル派の前任者の死去及び退任に伴う人事で、リベラル派が一気に3人減少し、それに入れ替わる形で3人の極度に保守的な若い判事がトランプ政権により送り込まれることになった。そしてこの人事を含めて、トランプ政権4年間の間に、合計226人もの連邦判事が任命されるに至った。

 トランプ政権の4年間の間に、共和党支持者が多数派を占めるレッド・ステートで並行して起きていたのが、人工妊娠中絶の権利を著しく限定する州法の制定化だ。これらのレッド・ステートでは共和党が知事の座と州議会の多数派を占め、州裁判所判事を始めとする司法システムも共和党関係者が独占している。そして、伝統的なコアな共和党の支持層が属しているのが反人工妊娠中絶の急先鋒であるエヴァンゲリッシュ教会だ。長年にわたり、エヴァンゲリッシュ教会の反人工妊娠中絶活動は人工妊娠中絶支援団体などへの抗議行動などを通して行われてきたが、リベラル派と保守派のバランスが取れていた時代の司法システムへの直接的なチャレンジには抑制的であったといってよい。それが、トランプ氏が大統領に就任し、連邦判事の欠員を積極的に保守派に入れ替えていく状況となり、司法システムを通した活動へと大きく戦略を変えていった。そしてその具体的な形として現れたのが、州法により人工妊娠中絶を厳格化させて、合衆国憲法の介入なく州レベルで具体的な禁止の詳細を取り決める方向性を持つ州法の制定であった。このライン上にあるのが今回のミシシッピ州法だ。

 そしてトランプ政権期間中に同様な趣旨の州法が立て続けに20州で立法されることになった。今回、連邦最高裁でRoe v. Wade判例が覆されたことが引き金となり、これらの州法も自動的に違憲ではないとされることになる。今回までの一連の動きは、長年のエヴァンゲリッシュ教会のなかの急進保守派による反人工妊娠中絶運動にその基盤があるが、トランプ政権下で大量の保守派連邦判事が送り込まれたことがそれを引き起こしている側面が大きい。従って、極度に保守派に傾いた現在の連邦司法においては、今回のような政治的な目的での司法システムの利用が成立してしまうことになる。

 今回、連邦最高裁判例が覆される結果となっことで、特にケネディー政権以降の近代アメリカにおいて連邦政府が主導して築き上げてきた人権や平等を重視する近代的社会に対して破壊的な作用を及ぼす政治的、社会的な流れが急加速する可能性が強くなったといわざるを得ないだろう。特に共和党が主導権を握る州において、人工妊娠中絶以外の政治的争点でも共和党が志向する方向で次々と州法が乱発される事態の誘発が避けられない可能性がある。そして逆に民主党が主導を握る州の行政行為あるいは州法を違憲だとして差止を狙う動きも乱発されるであろう。すでに人工妊娠中絶と並ぶ大きな政治的争点の一つである銃の携帯の自由をめぐりこのような動きが出て、連邦最高裁が追認する判決を出したばかりだ。トランプ政権時に社会の根幹である司法システムに承認人事を通して極端に政治的な介入を行った結果、容易には解消しがたい社会の極端な分断化を加速させる事態を招いてしまったといわざるを得ないだろう。

■参考資料: Opinions, Dobbs v. Jackson Women's Health Organization, Supreme Court of the United States

https://www.supremecourt.gov/opinions/21pdf/19-1392_6j37.pdf

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(Text written by Kimihiko Adachi)

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