chatGPT vs だいごろう
ネットではchatGPTの話で持ちきり、Twitterでもさまざまなことが出来るとエンジニア、プログラミング界隈の方たちが情報を共有しているのがわかる(内容はわかんないけど)。
無料で使えるものも沢山出てきてどう使いこなすかで変わってくるんだろう。
今までも、そもそも無料でやれっけどみんな自分で調べて実装するのが面倒だから初めからついているパソコンやソフトを買うみたいな事は起きていて、詳しい人から見れば世の中のゆっくり感と人の商売に口出してもしょうがないし、そもそもその商売にどうやって乗っかるかが仕事になる。
そんなふうに chatGPTを使いこなした人たちによってものや企画が生みだされていくんだろう。もはやAIを使ったと言うことすら公言することもないし、人間とAIの入れ替わりの入り口だ。
とりあえず現状では身体性がないことぐらいははっきりと分っているけど、AIを実装した人間はあっと言う間に広がっている。
実感としてAIを手につかんでいるように感じるんだろう、というか既に騙されているものだってある。どこまでが人間なのか調べるには安全な食料を探すことぐらい難しく、自給自足するにはTwitterのタイムラインを毎日チェックしてプログラミングにも詳しくないと暴けないし、そこまで詳しくなっていたら実装しない手はなく商売に使う方が自然なんだろう。
使い方も勿論問題で聞き方のプロも現れる。どうやって使うかで違いが出ていく。勿論というか私は全く詳しくない、でもそういう事が起きている事は感じていて、かなりの転換期なのだと教えてもらっている。
この数週間でAIの情報がかなりをしめてしまってそれ以外が薄れている。例えば「異次元の少子化対策」もう「少子化」など頭の中でかなり隅に追いやられていた(この数週間)、岸田さんもアルトマンと会談するぐらいで優先順位は変わってしまったんだろう。
そしてうちの中に目を戻す。やはりだいごろうが中心だ。AIの話はほとんどなくだいごろうの話が8割と言ってもいいだろう、しかも話だけじゃない、実物がそこにいる、抱っこもするしミルクもやるし寝かしつけるし夜泣きにまで対応でつ〜かAIどころじゃない…むしろ世の中に赤子という存在がいないからこそAIに夢中になれると言ってさえいいだろう、しかも子供でもなくもっと小さい存在の赤子っていうのもある。
身体性もないAI(今のところ)に何千億の投資がされている中でにっぽん!では4月から出産一時金が42万から50万に上がったそうだ(そして言っとくけど病院次第ではたんね〜からね)。
このスケールの違い…がっくす。AIは儲かるのね。
世界は赤子よりもAIに夢中で間違いない。そういう世界に生きているし、この数週間は更に拍車がかかっている。
生後1歳未満の赤子がいる家庭の人でAIの成長に投資している人が何%いるのか聞いてみたいけど、聞くまでもないと思う。
こう羅列してみると子供がどれだけお金がかからないか分ってくれただろうか?(そこかよ)。だってミルクと付き添う時間さえあれば成長してくれるわけだ。成長して学びにかかっても数千億はないだろう、しかも既に受け身な時間だけじゃない、泣いて知らせるし両手を広げて抱っこもせがむ。AIには質問する人で答えが違い情弱ほど扱いが低くなる可能性すらある。
AIで感覚を得られないとは言わないが、日々ずっしりくる感じ、寝返りをしようとする姿、顔の上にティッシュを置かれても微動だにしない様子(過去ブログ参照、出来るようになったよ)、もう疲れたよと思っても離れている時に思い出すあの感じ、うんこ出てないな〜と思ったらうんこば〜っとする、などなど、そもそも比べる存在ではないのかもしれないけど赤子が忘れられてる気がする。
このぐらい世界が赤子に夢中になったらどうなるだろうか?
出来ることばかりじゃない、できない事だっていい。だいごろうの顔の上ティッシュだって面白かったよね。勿論自分の子供じゃなくたっていいし、むしろそんなことに拘りたいわけじゃない。
人間は完璧じゃない完璧なんて求めてもどうしようもないと言っていい、シンギュラリティがきたとしてAIの魅力はどこなんだろうか…。
ますます人間かAIかわからない世の中が来ている、もう追いついていないことばかりだし、自分には追いつけない自信さえある。
「違いがわかる男」というキャッチフレーズのCMがあったが今の世の中では流せば「違いがわかる?AIで確かめろし、つか男主観キモ」って思うだろう。それだけみんなAI に夢中で人を信じられなくなるかもしれない。
ディープフェイクだって凄まじくて本物と偽物の違いはますますわからない。偽物でいいじゃんっていうだろうし、真意の意味も変わってくるだろう。
は〜細かく書くのも面倒になってきたな… chatGPTに書かせっか?おっと油断すると流される。勿論書かせたっていいだろうけど、A Iを通して何回か試してぶっちゃけこんな文章よりも上手く書くんだろう。
いやいや私は好きで書いてるんだ。下手だという事が人間の証明か…いや精進します。
だから人が見て面白いと思ってくれるかわからないけど大切にしたいものを持ってやるしかない。創作していくしかない。
だいごろうにも自分でどんどんやってほしいし、私が関わっている人たちにも何か創作してほしいとおすすめする。
要するに楽しむしかない、貧乏暇なしです。
AIの海に溺れそうになっても、だいごろうを抱き上げて息継ぎする。だいごろうはchatGPTマイナス4といったところだろう。そこがすごく愛すべきところだ。 chatGPTが5になろうが10になろうが赤子や子供と一緒にいる感覚は達成できないと思う、成長するという事が時に真逆なことだってあるからAIの展開では無理なんじゃないかな〜と想像する。(ここでいう赤子や子供とはどんな子でもです。我が子という意味ではなく関わる子です。)
そして万能だということはいいことばかりじゃない、それを悪用してやろうという人や国やテロリストだっているだろう。
全てが吹き飛ぶ可能性も考えられるそうだ。
うちの chatGPTマイナス4は言葉の羅列はおろか質問にこたえたこともない。
でも言葉を投げかけたくなる、歌を歌ってやる、絵本を読んでやる、うんこのいきみを一緒にやりたくなる。全てが吹き飛ぶのは頭の中だけ、時間を忘れて仕事に遅れた事がある。
プレデターvsエイリアンみたいなタイトルにしちゃったけど、食べて寝てうんこする存在を大事にしたい馬鹿なことをしながら実感を抱きながら前人未踏の様子を見ていきたい。
ちと疲れたからアルプスでも感じに行ってくる。
この人もおつかれみたいなので風でもあびてこよう。
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