family nameについて
靖子ちゃんについて。
ちなみに、大森靖子ちゃんのお名前の読み方は「おおもりせいこ」ちゃんです。やすこじゃなくてせいこちゃん。歌手。超歌手。
別に布教をしようというつもりはなくて、私の靖子ちゃんへの感情を書き置いておきたいみたいな、そういうnoteです。
いつ好きになったのか、あんまり覚えていない。去年の夏にはもう好きだったはず。ライブに行ったし。2023は靖子ちゃんに救われて生き抜いた年だったように思う。
靖子ちゃんが共犯者としてプロデューサー兼メンバーとして関わったZOCはメンバーの入れ替わりや炎上、メンバー同士の対立がかなり激しい。メンバーの脱退のたびに靖子ちゃんのパワハラだとか、そういう話も出てくる。どこまでが本当か嘘かは1ファンの私には分からない。
ZOCやいろいろな靖子ちゃんに関する炎上を見るたびに、靖子ちゃんをただひたすらに擁護する人、曲だけ書いていたらいい、グループ活動をするなという人、いろんな人がいる。
正解とかは関係のない人間が言うことではなくて、どう思うかもSNSで表明していいかと言われるとなんだか微妙で、でも思うことなんてたくさんたくさんあって、そういう状況で靖子ちゃんをどうこれから推していくのか、応援していくのか、そういうことを考えている。
ZOCが好きだった。私はfamily nameにひたすらに救われてきたから、1番Bメロのまろちゃんの「察して その名前は二度ともう聞かずに生きていきたい」に救われてきたから、そのZOCがなくなったことには思うことがたくさんある。でも、たまたまではあるけれど、私が苦しい時期を抜けた時期にZOCが崩壊して、救われ尽くしたという感覚があるからか、私はZOC崩壊に対してめちゃくちゃショックだったとかはそんなになかった。他人の人生とかが関わっているのにこんなことを言うのも良くないかもしれないけれど、私の人生においてはZOC崩壊はむしろ自然なことのようにすら思えた。
なにより、私は大森靖子ちゃんの音楽が好きで、泣きながら真っ暗な部屋で死神やMを聴いて、なんとか自分を奮い立たせたいときはミッドナイト清純異性交遊や絶対彼女を聴いて、そんなふうに生きてきたから。ZOCが、METAMUSE(一年くらいZOCは改名していました)が、彼女たちのうたう大森靖子ちゃんの言葉が、音楽が好きだったから。
ライブで最初で最後のZOCのfamily nameを聴いて(そのあと別のライブで靖子ちゃんソロのfamily nameも聴いた)、イントロから涙が止まらなくて、ひかりだ、と思ったのを今でも鮮明に覚えている。ほんとうに、色鮮やかに。その感情を、ひかりだ、と思ったことを、私は忘れられないでいる。
何度も泣きながら聴いた曲。
安定の不安定に鍵を閉めたこと、そうすることでしか守れないものがあまりにもたくさんあったこと。手に届くもの全部投げ飛ばしたあの日に、なにもかもぐちゃぐちゃになればいいって呪ったあの気持ち。私と同じくらい壊れたことがなきゃ、話したくもないって思ってた、しあわせな人間とはもう話したくないって棘を全身に纏わないと生きていけなかった。大切なドールもハラワタ掻き出した、大切を大切にできなくて、でもちゃんと私なりに大切だったよね。こんなんじゃ誰のことも愛せなくて、大切にできなくて、大切で愛しているはずなのに、大切も愛もうまくできなくてたくさん泣いたね悩んだね。それでも大切も愛も諦めたくなかったあの日の私が、どうかどうか報われてほしいと思うの、私は私のしあわせを、過去の苦しみを前提として願っている節がある。愛せない身体で生きていてもつまんないし厄介だからね、私の愛が私だからね。
「察して その名前は二度ともう聞かずに生きていきたい」のまろちゃんに何度救われたか分からない。はじめて生で聴いたとき、ああ、女神みたいだっておもった。きらきらしていた。アイドルは救いだと思った。アイドルは、人を救う職業だと思っている。
かわいそう抜きでもかわいいし私をぎゅってしないなんておかしい、ほんとにそうだよね、私はかわいそう抜きでもかわいいよね。こんなに頑張ってきたのにこんなにぼろぼろなのに、ぎゅってしてもらえないのは、おかしい。そのおかしさの中でそれでも抱きしめてもらえなくても自分で自分のこと抱きしめられるように強くならなくちゃいけなくてもそれでもやっぱりうまく抱きしめられなくても、それでもそれでもを重ねて生き抜いてきたけど抱きしめてもらえなかったこと、ぎゅってしてもらえなかったことは昔も今もこれからも、ずっとおかしいって思い続けてるよ。だって報われないから。あの夜愛されなくて泣いてた私が、あまりにかわいそうだから。そのかわいそうを他人に押し付けないように頑張る私が、あまりにかわいそうだから。押し付けたことに苦しんでる私も、そのほかのいろんなわたしも、ぜんぶ報われてほしいんだよ。
だからって光を諦めないよ。諦めない。諦めたくない。しあわせになりたい。ぜったいに。わたしは諦めない。でもやっぱり諦めてしまいそうな夜に、孤独に闘うことに疲れてしまった夜に、励ましとして、ひかりとして、慰めとしてこの曲があった、メンバーが画面の向こうに居た、音楽でしか見ることのできない美しさやまばゆさで私を照らしてくれた。
いろんなこと御構い無しで、私の最善を歩くの!
平成も十代も余裕で捨ててきた、10代のほとんど人生始められないままおわっちゃったけど、それでもよかったよね今私がここに辿り着くために必要だったのなら、それは全て肯定されるべきことだよ。その先の狂気で今を生きているね、その先の狂気をいかに美しくできるかとかその先の狂気で息をしているからこそ書ける言葉思えること見える景色が何よりだいじなんだよね。その先の狂気に値札つけてるってことだよね。
いらない感情しか売らないから/消費されたって消えはしない
前半のり子ちゃん。ただひたすらに表現者だけれど、自分がエンタメとして提供しているなにひとつも私を削るものではないってことうたってくれて、わたしもどんな私を他人に見せようとしたって感情渡したって何知られたって見られたって何にも変わんないから大丈夫だよって言ってもらえた気がして嬉しかったの。魂削って出したものがどんなに否定されても私は私だから、何にも変わんないから。
後半のまろちゃん。ずうっとアイドルしてきたまろちゃんが、なにもかわんない、消費されても消えないよって力強く歌ってくれて、でも消費されるさみしさ悲しさ苦しさが透けてる表現の仕方で、それでも強くステージで歌って踊ってくれることにありがとうしかないんだよ、ありがとう。
「察して 全部伝わらないよもどかしい 矛盾してない」
靖子ちゃんのパート。うまく伝えられないけど伝わらないけどわかってもらえないけど私なりの最善で生きてること、わかってほしいんだなわかってもらわなくてもいいけど否定して欲しくないんだな、でもそんなうまくいくはずなくってちゃんとたくさん苦しくて、でも間違ってるわけなくて、矛盾してないよねそうだよねを歌ってくれてありがとう。もどかしいね。わかってほしいよそれくらい。
それでも生き抜いたその先をあなたに見てほしいよ、傷だらけでめちゃくちゃに美しくてかっこよくてかわいいから、どうかどうか見てほしいの。とても美しい私で、美しい場所にいるよ。
その場所だから手を繋げたひとがいて、抱きしめられたものがあって愛があって音楽があって、この世の果てまでそれらと一緒に辿り着きたい、私たちが私たちでいるための地獄で手を繋ぎたい。
詰んだ語彙力でなにも苦しみのこと伝わるように話せないけど、なんか全然苦しくないみたいなことしか言えなくて自分の悲しさ苦しさなくなっちゃったみたいでたまに不安になったり苦しくなるけど、でもそんなことないからね。ちゃんと今の私が、今の私の生き様がぜーんぶ証明してくれるから、その美しさでぜんぶ許されるから、だから大丈夫。問題ないよ。何も気にしなくていいよ、正論も正義も私にとっての最善ではないことのほうがおおいからね。
クッソ生きてやる‼️