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会社を辞めたときの話

短大を卒業して私が就職したのは1996年の時だった。
当時は広末涼子がポケットベルのCMをやっていて、携帯電話よりもポケットベルを使う人のほうが多かった時代。
私はそういうものを扱う企業に就職した。
当時は携帯電話は高価なもので、一般の人が使える代物ではなかった。なので、私の周りには携帯電話を持っている人はいなかった。
それから10年経って、みんなが携帯電話を使えるようになって、ポケットベルは世の中から消えていった。
20年経ったら、小学生でも携帯電話を持っている時代になった。
私はポケットベルや携帯電話と共に時代の進化を感じながら過ごしてきた。
基本は接客業なので、毎日毎日、いろんなタイプのお客様と対面してきた。
携帯電話が故障したときは、お客様が怒り狂って、私の目の前で、お客様自身の携帯電話を机に叩きつけられ破壊されたこともある。極めつけにその携帯電話を投げつけられたこともあった。
今考えるとけっこうハードな接客業だったと思う。
まあ、そういうお客様ばかりではないが、当時はまだまだご理解いただけないことが多かったように思う。
そんな接客もあったけど、お客様とのやりとりは楽しい時もあり、この仕事は嫌いではなかった。
突然の人事異動が発令するまでは…。
人事異動「経理部」
私は販売部から経理部へ移動を命じられた。
経理部って、接客業じゃなくなるんじゃないの?
お金の管理するとこだし。
私はお金は好きだけど、お金を管理するより、接客するほうが好きだった。お金とは会話できないし。それに、経理って、簿記とかの知識がないとできないのでは?
私は簿記の資格もないし、経理なんてやったこともないのに、なぜ経理部に呼ばれたの?
その疑問に上司の奥様が答えてくれた。
「それはね、あなたが信用されているからよ」
確かに、お金の管理は信用できる人でないと任せられないな。資格とかより信用が重視されるんだ…と、この言葉で納得した。
納得したのだけれども、私の経理としてのスキルは、超初心者レベル。経理用語を覚えるところから始まり、めちゃくちゃしんどかった。
1円でも合わないと帰れない。当然だけど。
私にとっては、毎日が苦痛で仕方なかった。接客業とはかけ離れた事務職。畑が違うだけで、自分の価値がこうも変わるのか!?
と、自己嫌悪に陥っていた。
「もう、この仕事、私にはできません」
と、泣きながら上司に訴えた。
でも、仲間から「大丈夫だから」と励ましてもらったりもした。
それでもやっぱり、心もカラダもボロボロになっていった。
「私、会社辞める」
と、母に言った。
「もう限界…」
私がそう言うと、母は
「十分がんばったんだから、いいんじゃない? 辞めたいなら辞めなさい」
と言ってくれた。

ーー数日後、
社内で、社長から話があると全員が集められた。
「申し訳ないが、ある事情で事業を続けられなくなった。この会社は買収される。明日からは〇〇会社の社員として働いてくれ」
なんという急展開。
強制解雇。
そして、強制転職。
こうして私は会社を解雇され、買収先の企業に就職した。
そして、また販売部に移ることになった。
経理部は本社にあるからと、販売部兼お店の経理担当者として働くことになった。
最初は自分が会社を辞めると思っていたのに、会社から辞めて別の会社で働いてほしいと言われることになるなんて、おかげで私は身も心も元気になった。
就職して強制的に会社は変わったけど、結果16年勤め上げ、私は寿退社した。
結婚してもうすぐ12年。
しあわせに暮らしている。



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