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これからの人生に何を記憶として残していたいのかな?って、思ったこと

こんにちは
ホメオスタシスプロデュース 宮田です。
セッションやワークや日常会話でも過去の話を聞いていて「それって本当かどいうかわからないよね」って思うことがよくある。

私は昔の話とか、最近の話でも忘れてしまっていることが多いのですが、何年も前の話を事細かにありありと話す人もいて、記憶力が良い人が羨ましく思うこともありますが、「その話って本当?」「大事に記憶に残しておきたいのかな?」って思うことも。

脳と記憶の仕組みから考えても『脳は在るものを在るようには認識しない、脳の反応するように認識する』ので、そのままの情報を記憶するのではないし、認知科学的にRASとスコトーマの仕組みから考えても、自分のコンフォートゾーンの中のものしか見えないし、自分が必要としないものは(無意識も含め)見させてもらえないので、大前提として記憶なんてものは当てにならない。

同じ経験をした人の話を聞いても記憶しているところがぜんぜん違っていたりして
ホント自分の好きなように記憶しているんだなって。

先日も、その話、何十回目なんだろうってことがあって、楽しい、嬉しいお話ならまだしも、、、、聞いてても楽しくない。

しかも、何十年前の話なん、もうよくない?ってね。

30年以上前の姉妹の間で起こったことなんだけど、
「あの時、こんなに酷いことをされた」「どれだけ自分が辛くて悔しかったか」「あんな酷いことができるなんて、人としてどうなん」と昨日の出来事のように語るのですよ。

これ何人の人に話したんだろう、この何十年の間に、何十回、何百回と語ってるんだ?って思う。
その出来事が全くなかったとは思わないけど、自分の側からしか語られないから事実はどうか分からないんだよね。

そして、その度にその時の情景を思い浮かべ、感情が動いているから、30年前の出来事なのに、昨日のように話せてしまう。

人の脳の神経回路って使えば太くなるし、感情と結びつくとより記憶に残りやすいからね。

その時の出来事が、その人にとって衝撃的で、重要だと思う出来事であればあるほど、記憶してるのだけど、逆に言うとそれまでの人生でよっぽどそのような思いをしてこなかったとも言える。
辛い経験でもそれが日常茶飯事だったりすると、当たり前になってるからもう記憶にも上らなかったりして、他人から見ると「大変だね」って言われても、本人は「何が?ぜんぜん」ってことが起こったりする。

だから、そもそも人の記憶は当てにならないし、それはその人にとって事実として記憶に残しているけど、同じ体験をした人の数だけ事実があるんだよね。


今回の話も、3姉妹の間で記憶しているものが違って、一番下の人が真ん中の姉にはいつも酷いことされた記憶しかない、って話していて、真ん中の姉にご立腹なのだけど、その上のお姉さんは、そう言うところも確かに在るけど、そればっかりではなくて、良いところも記憶に残ってるのよ。

まさにRASとスコトーマだなってw
どんなに良いことがあっても、絶対にそこは見えない、見たくないのよね。
だから、同じ経験していても記憶に残らない。
本人にとってはそれが事実だから、「いや、良いところなんてない」「人としてどうなんだ」って言えるし、自分に正当性があると思えてしまう。

でもね。
脳や認知の仕組みを知っていると、そうは言い切れないなって、ちょっと客観視できるんじゃないかなって。

だって『脳は在るものを在るようには認識しない、脳の反応するように認識する』のだから。

まぁ、事実として酷いことされたとか、人としてどうなんだってことがあったとしても、もう30年以上前の話じゃない。

だから、それはこれから先の人生にそれって必要なん?何かの役に立つ?
って、聞いてみたら

「役に立つ」って、おっしゃる。

で、何に?って聞いたら、「そんな酷いことをしない人になる」って、おっしゃるではないですか。

おーそうなんだ。
ってことは、そのことで人に酷いことをしないようになったんだね。
でも、もうそれがなくても「酷いことを人にしないでしょ」www
だから、もういいんじゃない。
嫌な記憶を思い返すよりも、楽しいことや、嬉しいことを考えてた方が幸せなんじゃないって。

そんな話をしていたら、上のお姉さんも同じで、残りの人生は幸せなことを考えて生きたいって。

さすが人生90年近く生きている人の言葉は重みがございますわ。

こんな時にいつも思い出される

どんな境遇におかれても
「幸せになれる子」を育てたい

上皇后 美智子様のお言葉

子どもだけじゃないよね。
大人になってもだね。

記憶なんてものは正確ではなくて、自分の意図でいくらでも書き換えができるのだから、これからの人生に何を記憶として残していたいのかな?

その時の辛かった経験は今の自分をつくるのに必要で、それがなければ今の自分はいなくて、その経験で得た能力や何かがあって、その時は辛かったかもしれないけど、今の自分をつくる必要な要素だったから「お陰様です」って、気持ちになれたらもっと幸せになれるのではないだろうか。

私は末っ子なので、姉よりもオマケしてもらって許されてきたことがあるだろうなって、思うことが沢山あって。
それが当たり前になっているからこそ不平不満が言えてしまうところがあるよね。
それを分かっていると、やってもらって当たり前の期待値が高いから、思ったようなことにならなかった時に受ける衝撃も減るよね。

そういった期待値調整しておくと言うのも大事で、そもそも自分を知るってことが本当に幸せになるために大切なことで、自分を知ることで今問題とされるものがかなり解消される。

だから、自分のホメオスタシスを知って、自分らしく、幸せになる人でいっぱいになって、周りの人も幸せになっていく、幸せになれる人が増えるといいね。

何を記憶に残していくかは自分で選んでいいのだから、どうせなら辛い記憶をいつまでも残しておくよりも、幸せな記憶を積み重ねたいね。




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