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アラフィフおひとりさま 「自分らしく」が難しいのはなぜ?
幸せになる脳を育てる
カウンセラー/コーチ 宮田です。
急に寒くなリましたね。
布団を冬用にかえ乾燥機でフカフカにしてからお布団に入ったら暖かすぎて眠れず…。
健康やHappyにも関係する良質な睡眠。快眠のお布団の中の理想的な温度は33℃±1℃だそうで、適温って大事。
自分らしく生きるって?
「自分のらしく生きたい」と考えている人は多いと思うのだけど、自分らしく生きられていますか?
そもそも「自分らしく生きてる」って、どういう状態のことなんでしょうね。
できるだけ日々の小さな幸せを感じながら生きたいので、自分らしく生きようと頑張って凄くしんどいとか辛い、苦しいってならない方がいいなって思ってます。
苦しくなってしまう原因は色々とありますけど、原因がわからない状態はさらに辛いから、ヒトの認知や脳の仕組みから考えるようにするとその辛さがグッと違ってきます。
ヒトは『あるものを、在るようには知覚していない、脳が反応するように知覚する』という仕組みから考えてみると、ものの見え方って受け取り側の脳の反応の違いによるってこと。
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上の写真みたいに、本当は同じ長さでも違って見えたり、点が3つあると顔に見えたり、脳が勝手に予測したり判断して作り出していることってありますよね。
他にも、犬好きな人なら犬が近くに寄ってくると「ヨシヨシ可愛いね」ってなるけど、犬が怖いって思っている人だと、近くに寄られると恐怖なので「あっちに行け」ってなる。
それは過去に犬に吠えられたり、噛まれたりして怖い体験をしたところから来ているのかもしれない。でも目の前にいる犬ってその噛んだ犬とは別で全然噛まないおとなしい犬かもしれないのに、犬というだけでその怖かった体験と結びついて反応してしまったり。
こんなことをヒトの脳はしょっちゅうやっていて、自分が注目するところが大切だと思って実際以上に重要視する傾向がある。
しかも、自分が重要じゃないと思っっているところはスルーしてしまうという能力もあるので、他人と話をしていても見えているとことが違うと全然話が噛み合わなかったりもします。
家族の思い出話も記憶に残ってるとことって全然違ったりして、全く違う話になっていたりしたことありますよね。
ヒトの脳とか知覚とか記憶って、割と曖昧なもの。
でもそういう曖昧なものにヒトは囚われていたりするんですよね。
だから、自分らしく生きようとしたときその囚われからくる反応や感情だったりに影響されて、本当の自分が分からなくなっていたりします。
よくある性格診断とかエニアグラム心理学とかも○○タイプってタイプ分けされたりするけど、本当にそうなのかなって思うことありますよね。
私の場合だとエニアグラムのタイプ7なので楽天家タイプ。好奇心旺盛で楽しいこと大好きな人。確かにそうなんだけど、人は成長もすれば変化していくし、生まれ育った国や環境や体験もそれぞれ違うので、いろんなことが積み重なって自分っていうものがあるから、自分らしさは100人いたら100通り、みんな違いますよね。
だから自分らしく生きようと思ったら、自分知らないとお話にならないし、自分が何を大切にしているのかとか、自分の価値軸は?とかもわかってないとだし。
育ってきた環境や体験、生きていくために獲得したものとかによっても自分というものができていたり、逆にそれによって自分らしくいられないこともあるから。ちょっとややこしい。
『自分らしく生きていく』とは、他人の意見に左右されないで、自分の価値観を基に選択できる状態になることじゃないかって思うんですよね。
自分らしく生きるために必要なこと
自分の価値観を基に選択するには、どうしたらいいの?
まずは、自分のことを知ることですよね。
そして、人それぞれにあるオリジナルな囚われを解いていくこと、そして「それでいいのだ」「それもあるよね」って受け入れることじゃないかな。
その人なりのこだわりって自分では気づかないんだけど、他人から見るとある。
自分では不思議でもなんでもないことだけど、他人の言動などは「なんでそこにこだわるかなぁ」って思ったことありますよね。
それって本当に自分では気づかないでやっているので、自分の当たり前には気づけないよねって言って笑っちゃうこともあるけど、当人は大真面目で自分は間違っていなくて相手の方がおかしいって思ってしまいがちだったり、恥ずかしい体験として記憶され同じ体験を避けようとしたり、それは絶対にやってはならないとかまた囚われをつくりがち。
子どもの頃から見直してみるといっぱいあると思う、囚われ。
他人にはどうってことない出来事だったりが意外と引っかかって何かことがるごとに出てきて本来の自分というのを見えなくしていたりもするから、そいういのを見つけて解除していくともっと自分らしく生きやすくなる。
これは一人ではムリだから、良い悪いで判断しない信頼できる人で誤魔化さずちゃんと言ってくれる人がいる。
カウンセリングなどをしていても、人間関係のラポールができていないと言えない。
感情が動いてしまって届かないから。
本当に人の感情って厄介で、正しいことをするとは限らないので、感情に振り回されないためにも脳や認知の仕組みは知っておいた方がいいなってしみじみ思う。
何かあって、感情が動いても仕組みがわかっているとどうしたら良いかを考えられるから。
ジャッチしない脳を育てる
人は共感してほしかったり、褒めてほしかったり、正したくなったりするものだけど、そいういう囚われもときたい。
価値観や正しさとかは時代や文化、立場によってもコロコロ変わるもので絶対的な善とか悪と決めるのは難しい。
自分にとって大切なことやものすごく価値のあるものでも、他人も同じじゃないってこと、1ミリも価値がないこともあるってことを忘れがち。
好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかもその人固有のもので、数が多いと正義みたいに思ってしまったり、意見が違うと受け入れられずに叩いてみたり、推し活をしていると本当にそいうい場面をよく見かけるのだけど、自分の固定観念に囚われすぎて見えなくなってるよってね。
自分の価値観の中ではダメだって、怒ったりすることが悪いと言うのではなく、それ以外は認められない状態になって凝り固まってしまうと問題になったりしますよね。
自分と他人とは違うものだって、違ってて良いんだって言うところを認められないでいるとそれは自分に跳ね返ってくるから、自分らしく生きようとしたときにブレーキになってしまう。
自分の価値観を大切にしつつ、絶対的善悪でジャッチしない。
凝り固まらず柔軟な思考を育てていくこと。
『自灯明』
自分自身を信じて自分の価値観や考えを基に、他人の意見には左右されず、自分を拠り所として生きる。
正解なんてものはないのだから、自分の人生は、自分で考えて、自分で決められるようになること、生存戦略的な選択ではなく自分の価値観を基に選択できること。
自分を拠り所とするためには、自分を知ることや知識を入れるだけでなく、行動することが大切ですね。