新しい家族のかたち 結婚と離婚
幸せになる脳を育てる人
カウンセラー・コーチ宮田です。
人の脳の機能でRASというのがあり、RASを簡単に言うと、脳に入ってくる情報を必要なものと不要なものに分別する脳のフィルター機能です。
だから同じ場所、同じ体験をしても人それぞれ入ってくる情報は違うということで、その人にとって意識無意識にも重要なものがフィルターを通ることができるし、そうでないものはなかったものとされてしまうという面白い機能。
それは脳を守るために備わっていてその仕組みも面白いのですが長くなるので割愛します。
RASを通り目についたもの、気になるニュースというのは今の自分にとって重要性が高いということとも言えるのです。
そこで最近ひっかかったニュースが、タレントryuchellさんとpecoさんの「これからは夫と妻ではなく「人生のパートナー」そして、かけがえのない息子の親として、家族で人生を過ごしていこうね。と言う形になりました」と離婚を発表したこと。
新しい家族のカタチ、あり方が注目されていました。
私自身が結婚し二人の息子の親になり、その後離婚し、今は子育てを終えておひとりさま暮らし。
過去の自分を振り返ったり、これからの新しい家族のカタチについて考えてみました。
「変化しないものはない」
仏教の根本的な考え方である「諸行無常」この世の万物は常に変化していて、ほんのしばらくもとどまることがない。永遠不滅であるものは皆無といってよいと言う意味。同様の意味の「万物流転」は紀元前6世紀頃の哲学者ヘラクレイトスの言葉で、この世に存在するすべての物や事は絶え間なく変化し続けるということ。
「世のすべてのものは、移り変わり、生まれては消えるを繰り返し、永遠に変わらないものはない」と言われているのに、プロポーズや結婚式で「永遠の愛を誓う」ってなんだろうね。
そもそもすべてが変化するものなら、「変化しないものはない」と言う覚悟を持っておくこといいのかもしれませんね。
これって結婚だけでなくすべての人間関係だって変化するもので、生物が新陳代謝を繰り返すのと同じなんじゃないかと思う。新しく生まれた細胞が寿命を終え体から排出されまた新しい細胞が生まれ入れ替わっていくを繰り返す。いつまでも体にとどまるとどうなるか、、、です。
ある時点では良いものも時間が経つと悪いものに変わると言うことはよくあることで、絶対的な善も悪もないんですよね。
結婚についても、近代日本の婚姻制度が成立された明治の時点では法的に保護することで得られていたメリットも時代や価値観の変化により、うまくいかなくなるのは当然のことで、婚姻制度自体を見直しましょうよって声が大きくなってますよね。
いわゆる「理想の結婚」「理想の夫婦像」と言うものに無意識に縛られていたり、そこから外れたものを批判したり、結婚しないと低く見られたり、何か欠陥でもあるかのような、差別的なことがまかり通っていた時代もいよいよ変わる時がきているんじゃないかと。
離婚しても親は親
ryuchellさんの場合は戸籍状の離婚はしても同居で人生のパートナーとして一緒に育てる選択をされてましたね。
私の場合は、子どもが5歳と2歳の時に離婚し、父親とは遠距離で別々に暮らしているのですが、離婚後も子どもたちの親としての役割をずっと果たしてくれました。
月に一度は必ず子どもたちに会いにきて遊んだり、少し大きくなってからは男同士で旅行に行ったり、思春期には男親として男同士で話してくれたり。私には出来ないところを知らないところで補ってくれていたのを後から息子から聞いたりしました。
今は息子たちも成人して、一人は近くに住んでいますが、一人は父親の近くに住んでいて、その子も結婚し孫も生まれおじいちゃんライフを楽しんでいる模様です。
ryuchellさんは父親というのはこうあるべきと言うのに悩まれていたようで、お父さんとお母さんの立場の区分もしない自分達らしいパートナーシップを選択されたみたいですね。
私も母親だけど、時には父親のような役割をするし、一人の人間の中に母性も父性もあるし、女性的なところ男性的なところを使いながら生きていますから、誰だってそうだろうし、キッパリ分ける方が無理があるのではないかと思ってます。
私にとって日常なのですが、我が家は離婚後の家族関係がかなり上手くいっているのでその話すと、かなりイレギュラーなのではないかと、これが普通じゃないんだと言われるんですね。
もちろん離婚直後から良好な関係でいたのではありません。離婚するぐらいですから、私もかなり情緒不安定だったし、相手のことを信じられなくて恨みもしたし、なんてひどい人だと思ってもいましたから。
後から考えると、もう少し感情的に行動しなければ離婚していなかったのかもしれなかったのかとも思いましたけど、よくよく考えるとたらればは無いですね。自分の意思で離婚を決めたのですから。
振り返って、現在の良好なパートナシップがあるのは離婚直後に決めた事も関係しているのではと思っています。離婚すれば夫婦関係は無くなるけれども、子どもの親という関係は無くならない。子どものことを考えて親としてどうしたらいいか。私は、思い通りにならないことがあっても、どんなに腹が立っても子どもたち父親の悪口を絶対に言わないと決めてました。
友達に愚痴ることはあっても、自分の親や家族には子どもたちの父親の悪口を言わないでいました。
その後、人の心理を学んだりして大人の思考に自らを成長させると言うことも大きく関係していると思っています。
離婚大国・日本の家族のカタチ
3組に1組が離婚するか言われている離婚大国・日本なので、婚姻生活を続けられている人は本当に尊敬しかないです。これからは画一的な結婚や家族の理想像ではなくなり、色んな家族のカタチ、パートナーシップがあって当たり前になるのではないかと、時間はもう少しかかると思うけども。
今までは「恋愛して結婚し子どもが生まれ家族になる」のが普通とされてきましたが、このステップもかなり変わってきてますよね。
そもそも結婚しないことを選択する人も増えてますし、結婚することでえられるメリットもあるのですが、結婚していることのデメリットもある。
例えば、夫婦間の愛情はなくてもパートナーとして子どもが大きくなるまではとか考え戸籍上の婚姻関係を続けている場合、新しいパートナーと恋愛した場合「不倫」となってしまうので、今の日本では不倫は許されないことで、社会的な制裁を与え、まったく知らない人たちから過剰とも言える攻撃をしてもいい存在のようにされたりするのを見ると、特に有名人なら不倫より離婚のメリットが大きいような気もします。(ryuchellさんがそうだと言うのではありません)
離婚が珍しくなくなってくると、再婚や新しいパートナーシップを築くパターンも増えてくるでしょう。その新しいパートナーは男同士、女同士と言う場合もあるだろうし、恋愛関係はなく家族のようなもの、何かを共にする仲間や好きなものが一緒だったり、癒しや拠り所やなんらかの絆ができて、血縁ではないけども家族といえるような人たちが求められているのではともう。
現在、息子たちはそれぞれ自立して家を出ているので、家族のカタチも変化しtおひとりさま暮らしの私。血縁以外の家族がいることがとても心強くて救われているし、これからも家族のような安心できて面白いコミュニティーを築いていきたいと思う。
「一人で生きる」が当たり前になる社会 (ディスカヴァー携書) 荒川 和久 @amazonJPより
最近読んだこの本に書かれていた言葉ですが、
若い層は結婚しないほうが当たり前になるかもしれないし、結婚しても「永遠の愛を誓う」というようなことはしなくなるかもしれない。
結婚をなんのためにするのか自問自答し、結婚してもこのままのカタチで家族関係を続けるのか、新しく変化させていくのか、自分らしく生きていくためにはどうしたらいいのか?
人それぞれ違う目指す夫婦、家族のカタチがあっていいし、人がとやかく言うことではないと思うんですよね。
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