世界遺産講座① 基礎編~世界遺産と世界遺産条約~
2024.05.31 更新
こんにちは、きみかです。
「世界遺産講座」では、私が大学院で専攻している「世界遺産学」や現在インターンで取り組んでいる「世界遺産委員会(準備)」に関する知識を紹介していきます。
今年、2024年の7月に行われる世界遺産委員会開催までにいろいろと基礎知識を書いていきたいと考えているので、今年の委員会で審議される遺産に関しても私の守秘義務の触れない範囲で紹介していこうと思います。
さて、今回は最初ということでまず世界遺産とは何か?世界遺産条約とは何かを簡単にお話ししましょう。
1.世界遺産とは?
「世界遺産」と聞いて皆さんはどんな場所、遺産を思いつきますか?
皆さんどこかしらの世界遺産を訪れたことがあるのではないでしょうか?
歴史的な場所、観光名所、自然が豊かな場所、、、、
或いは、奈良の大仏、富士山、コロッセオ、ヴェネツィアなどなど、、
おそらく、1199通り(※1)の想像が可能だと思います。
※2024年現在、世界遺産の登録総数は1199件
では、頭に思い浮かべた場所や遺産はなぜ「世界遺産」と呼ばれるのでしょうか?
その答えは単純で、「世界遺産条約」によって「世界遺産」の認定を受けているからです。
我々人類が築き上げてきた歴史ある不動産(※2)、地球の形成において進化・発展してきた地形や生態系などの自然が、私たちにとって価値がある、将来に遺していくべきだと判断された場所やモノ(プロパティ)を私たちは「世界遺産」と呼びます。
※2世界遺産条約では不動産=土地および土地と一体になったもの、のみが世界遺産として登録可能です。
UNESCO World Heritage Centerでは世界遺産とは何かを動画でも説明しているので参考までに。(言語は英語ですが字幕表記が可能)
更に詳しく見ていくと、世界遺産は3つの分野に分けて登録されています。
・自然遺産・・・小笠原や知床、グレートバリアリーフなど
最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域等
・文化遺産・・・奈良の大仏や富士山、モンサンミッシェル等など
国や地域またはコミュニティの歴史・伝統・文化を集約した象徴的な存在
・複合遺産・・・マチュ・ピチュやウルル=カタ・ジュタ国立公園など
文化と自然両方の価値を兼ね備えたもの
世界遺産になるためには、10個の登録基準(クライテリア)のいずれかを満たす必要があります。
10個の基準のうち、(i)~(vi)(※3)は文化遺産に求める基準、(vii)~(x)は自然遺産に求める基準です。
※3登録基準はローマ数字で示される場合が多く、(i)、(ii)、(iii)、(iv)、(v)、(vi)、(vii)、(viii)、(ix)、(x)となります。
登録するプロパティに認められる基準によって「文化遺産」「自然遺産」に分けられ、商法の基準を持つ場合「複合遺産」とされます。
例えば、オーストラリアの「エアーズロック」で有名な「ウルル=カタ・ジュタ国立公園」は登録基準(v)-文化、(vi)-文化、(vii)-自然、(viii)-自然が認められているため複合遺産に分類されます。
これらの登録基準に関しては次回、世界遺産講座②で説明します。
では、「世界遺産」を定める「世界遺産条約」とは何か?
次の項目でお話していきたいと思います。
2.世界遺産条約
(1)世界遺産条約の概要
世界遺産条約は、正式名称を「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)」と言い、1972年第17回UNESCO総会(萩原徹が議長)で採択された国際条約の1つです。
発行は1975年で第1回世界遺産委員会は1977年に開催されてました。
そして、最初の世界遺産登録が審議されたのは1978年でした。
1972年当初は締約国数が20か国程度でしたが、2024年現在195か国に増加し現在では最も成功した国際条約と呼ばれています。
ちなみに、日本は採択から20年後になる1992年に批准(条約に同意すること)しました。
当時の議長が日本人だったため、認識はしていたと思いますが批准がその20年後になるのはだいぶ遅いように感じられますね。
こちらに関しても、諸説はありますが、、、
それはさて置き、
この条約は全38条からなる条文を通して、「文化遺産及び自然遺産を全人類のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立すること」を目的と定めています。
こちらは文部科学省が公開している世界遺産条約(仮訳)です。
全文確認したい方向けに添付します。
では、この世界遺産条約がなぜつくられたのか、その経緯を次項でお話ししましょう。
(2)世界遺産条約設立の経緯
世界遺産条約がつくられたいつの大きな要因はエジプトの神殿を救おうと世界が動いたことに始まりました。
遡ること世界遺産条約が採択される約20年ほど前の1952年、エジプト政府はナイル川の氾濫への対応や電力の安定的確保を目的としてアスワン・ハイ・ダムの建設が計画しました。
しかし、ダムの建設にはナイル川沿いに位置するアブシンベル神殿(前1260年頃ラムセス2世、別名:オジマンディアス)を含むヌビアの遺跡群が水没することになります。
この遺跡群をどうにか守るために、UNESCOが世界各国に協力を呼び掛ける形で「ヌビアの遺跡救済キャンペーン」が発足しました。
そして、この呼びかけによって50か国を超える国々から約4000万ドル(約60億)の支援を集めることに成功し、これを基に神殿を一度1036個に切り刻んで別の場所に移動することで水没を阻止しました。
ちなみに、この際日本政府は1万ドル(約155万)、日本全体として28万ドル(約440万)を拠出しました。
条約批准前だったこともあり、その額としては少ないと言わざるを得ないでしょう。
そして、このキャンペーンをきっかけに「人類共通の遺産(Common heritage of mankind)」という考えが生まれ、同時にその遺産を守らなければならないという使命感の高まりました。
やがてその思いが、「世界遺産」という形で表され、遺産守るための国際協力体制を確立する手段として国際条約がつくられていきました。
尚、こちら記事がより詳細に記載しているため、さらに深く知りたい方は是非読んでみてくださいね!
1つの想いは、世界をも動かす。
特に戦争後ということで、世界がまだ1つの目的を持っていなかった時代、「世界遺産」は依然ばらばらな状態の国々を一つの理想と思いにまとめ上げる、そんな役割を背負っていたのではないかと想像してしまいますね。
(3)世界遺産委員会
次に、世界遺産条約と世界遺産の登録に欠かせない世界遺産委員会を紹介します。
正式名称を「顕著な普遍的価値を有する文化及び自然の遺産の保護のための政府間委員会」と言い、世界遺産条約第8条でUNESCO内に設置を定められるものです。
委員会は原則毎年一度、6月から7月頃に条約締約国のいずれかで開かれます。
そこでは、推薦された世界遺産の登録可否や危機遺産への加除の審議、遺産保全状況の確認、世界遺産基金などに関する審議を行います。
実は、2020年はコロナのため延期、2022年はロシアのウクライナ侵攻による反発により延期(2023年にサウジアラビアに開催地を変更して実施)など開催に関するイレギュラーも近年発生しました。
今年は第46回世世界遺産委員会が7月21日~31日にかけてインドのニューデリーで開催が予定されています。
参加するのは事務局となる世界遺産センター、審議を行う委員国(21か国)のほかに、諮問機関である国際自然保護連合 (IUCN)、国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)、文化財の保存及び修復の研究のための国際センター (ICCROM) の代表者や非政府組織なども参加します。
勿論、審議対象物件の関係者やオブザーバーなど約10日間の開催期間に9000名以上が参加すると言われます。
ちなみに、参加するためには組織からの申請が必要になるので個人での申し込みは不可ですが、youtube等での配信を見ることは可能です。
以下サイトから過去の委員会や今年の委員会のライブを見ることができます。
委員国の21か国は、世界遺産委員会とは別に開催される世界遺産条約締約国総会(総会)で選出されます。
地域ごとに不均衡を防止するために世界の地域区分ごとに最低限の選出枠が決められているほか、任期が6年(※4)と定められています。
※4自主的に4年任期で運用されており、2年に一度半数が改選。また、任期終了後は6年間置くことが求められる。
日本は2021年に再選されて以降、2025年まで任期を有しています。
実際に今年の世界遺産委員会には日本も委員国として出席予定です。
世界遺産委員会の詳細や世界遺産登録にたどり着くまでの流れはまた別の回で詳しくお話ししたいと思います。
3.おわりに&こばなし
(1)アブシンベル神殿とヌビアの遺跡群救済キャンペーンこばなし
1952年、エジプト政府国はナイル川氾濫防止と電力確保の安定化を掲げ、近代化を目的としたアスワン・ハイ・ダムをスーダンとの国境付近につくることを計画しました。
おそらく皆さんが中学校の歴史で勉強された通り「エジプトはナイルの賜物」(※5)と言われる肥沃な大地の形成には、毎年夏の氾濫が原因していました。
※5ギリシャの歴史家ヘロドトスより
エジプト人の農耕や高度な文明発達へ大きな貢献をしたと評される一方で、技術や生産性が向上した現在のでは暮らしを不便にする「災害」の一つと捉えられなくなっていったのでしょう。
しかしダムを建設すると「アブシンベル神殿」や「イシス神殿」などのヌビアの遺跡群が水没することが明らかになりました。
これに対し、エジプト政府とスーダン政府はどうにか遺跡を保存する方法がないか、UNESCOに要請を出します。
そしてダムの工事着工が始まったのと同年の1960年、UNESCOが主導し「ヌビアの遺跡群救済キャンペーン」として基金や技術者、専門家の協力を各国に仰ぐ運動がはじめられました。
集まった資金や参加した国は先述の通りです。
そして無事、集められた人やお金によって、1036個のピースに一度裁断されたアブシンベル神殿は水没の危機がない高台へと引っ越すことに成功しました。
山のように大きな砂岩の神殿を1036個に裁断して、移動して、同じ形に組みなおすことだけでもすごい技術を要したことでしょう。
しかしこの時、、、、(ブログ主が話したいのはここから!!!)
アブシンベル神殿は、ラムセス2世(ギリシャ語の別名:オジマンディアス)によって紀元前1260年に建設されたものですが、、流石天文学の国としか言いようのない構造をしていました。
というのも、秋分の日(10月22日)と春分の日(2月22日)の年に2回、上ってくる太陽の光が入り口から細い廊下を通り60メートル内部の4体の像のうち3体を照らす設計になっているのです。
細い廊下を60メートル、それだけでも光の角度や様々な計算が求められるのでしょう。
それに加えて、光は正確に像の顔に照射するよう配置されています。
私たちが今いる時代からゆうに3000年以上前、この建物を作る技術はやはり宇宙人がいたのではないかと思わせてしまいそうですね。
ちなみに、像というのはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そして建設させたラムセス二世が座していまが、光が当たるのは明快の神とされるプタハ神を省く3体であると言われています。
この軌跡は毎回朝の6時ごろに始まり、約20分間という実に短い時間だけ出現するそうです。
この日は、「ラムセスデイ」として有名であり毎年大勢の人が奇跡の時間を目にするために世界から集まることで有名です。
ブログ主もいつか必ず行ってやるんだ、世界遺産を学び志す者として一生に一度は目にしたいと思っています。
そしてそして、、、
話がそれてしまいましたがアブシンベル神殿移設の際に、その軌跡の光は継承されました。
1960年のキャンペーン開始、1964年の工事開始から4年後。
1968年に高台に引っ越しを完了したアブシンベル神殿ですが、なんと移動先でも奇跡の光が同じ日に出現するように計算して配置が行われたのです。
これにはもう、引っ越しに関わった全ての人の執念と努力を感じてしまいますね。
そんなこんなで、建造物そのものだけでなく、奇跡的な現象ごと保護されたこの遺産は以外にも世界遺産登録が始まった1978年、原初の12遺産(主が適当にそう呼んでるだけ)には含まれておらず、翌年1979年に文化遺産として世界遺産の仲間入りを果たしました。
本当に超余談ですが、ラムセス二世は新王朝時代第19王朝ファラオとして24歳ごろに即位したと言われており、奥方が54人、子供は111人いたとかいないとか。
没は意外に長寿の90歳と言われています。
それにしてもお子さん多すぎですおね、驚きました。
また、一節では「自分大好き」と言われています。
その証拠にはなりませんが、件のアブシンベル神殿正面に座す4体の像は全て彼を表していると言われています。(2体目は自身により崩壊している部分があるためお顔は見れません)
また、奇跡の光が当たる部屋には3人の神々に並んで自身の像を並べ、光が当たるように作らせているところからも「自分スキ」感が伝わってきそうですね。
勿論、エジプトはかつての日本と同様ファラオ(王)=神(太陽の化身)として、人とは一線を画す扱いをしていたので、周囲からの認識だけでなく彼も神として自分を認識していたのかもしれませんね。
以上、ちょっぴりエジプトヲタクなブログ主の長すぎるこばなしでした。
読んでくださり本当にありがとうございます。
(2)本当におわりに
さて、こばなしが本編ほどに長くなってしまいましたが今回はここまでです。
いかがでしたでしょうか?
今まで主が世界遺産検定の取得や大学院での勉強をもとに書いてみました。
一部主の主観も混じっているので、その点は皆さん自身で自分ならどんな感想を持つか、どう考えるかを吟味してみると面白いと思います。
さて、次回は「世界遺産になるために」をテーマに先述した10個の登録基準や世界遺産推薦までの流れを説明していきたいと思います。
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それではまた、次回お会いしましょう♪