星野源にうっかり武装解除させられた話
radikoで星野源のオールナイトニッポンを聴いている。
毎週欠かさず聴いているわけではないし、
リアルタイムで聴いたことは一度もない。
本人のSNSもフォローしてない。
そもそも私はつい最近まで、そして長らく、星野源にひねくれた感情を抱いていたのだ。
最初に出会ったのはいつだっただろう。
10代の全てを二次元に捧げた私は、
流行り始めるまで星野源の曲も名前も知らなかった。
大学生の私がYouTubeで音楽を聴き始めた頃だから、2015年頃だろうか。
私が部屋で好きなアーティストのミックスリストを再生していると、必ず最後に星野源のMVに辿り着くのだ。
当時「カフェが好き」も恥ずかしくて友達に言えなかったような自意識過剰な時代、
YouTubeに「こいつ星野源好きそうだな」と思われていることが妙に恥ずかしかった。
YouTube、お前に言われなくても分かる。私がいかにも星野源を好きそうだってことくらい。
ちゃんと曲も聴いたことがないくせに何が"いかにも"なのか。
とにかくそうやってオタクの自意識を拗らせた私は、それからも星野源にツンデレし続けた。
そもそもみんなだって星野源のことを大して知らなかったくせに、
「ずっと好きでした」みたいな顔しちゃって、
こういう派手すぎない雰囲気の文化系男子が、結局裏では一番モテてるんだ。騙されないぞ私は。
この話を人にするたび、こう言われた。
「いや、あなた絶対好きだから聴きなよ」と……。
しかし、私が積極的に聴こうとしなくても、
星野源の曲はものすごい頻度で耳に届いてくる。
なにせ彼はApple Musicのジャンル一覧において「J-POP」の顔なのだ。
そろそろファンの方から怒られそうなので言い訳しておくと、私は"避けていた"わけではないのです。それに人は人、曲は曲だ。
テレビから、CDショップから、スーパーマーケットの有線から、キャッチーに届いてくるその曲を、あえて自分から聞く必要もなかった。他に聴きたい推しの曲もたくさんあった。
そんな星野源こじらせメンタルのまま私は大人になり、星野源の曲を聞いたり聞かなかったりしながら時が過ぎた。
2017年、私はものすごい勢いで三次元アイドルにハマった。
ダンス&ボーカルというジャンルを通して、三浦大知ファンの友達ができた。TwitterのTLに、おげんさんと一緒の感想や、星野源のライブの雰囲気がいかに最高か、というツイートが流れ始めた。
同じ時期に、職場で仲良くなった友人たちが、なぜかみんな星野源の大ファンだった。
そして私の星野源に対するひねくれたイメージは氷解していく。頭が良くて、優しい人なんだろうな。
しかしやはり、そこで積極的に曲を聴いてみよう、とは思わなかった。理由になっていないことを言うが、だって星野源って改めて聴くにはあまりに有名なのだ。
そして2019年。コロナウイルスの流行が始まった。
接客業の私としては、来てくれるお客様に、心から「ありがとう」と思えない日々が本当にきつかった。「どちらからいらしたんですか?」なんて普通の会話も、相手を咎めているニュアンスになってしまうようで、うまくできない。
緊急事態宣言後、ぱったり静かになった職場で、安心していいのか不安になっていいのか分からず、時間をやり過ごした。
4月のある朝職場から連絡が来た。
「市内で感染者が出たため、当面、スタッフを2人だけ残して、縮小営業になる。他のスタッフは自宅待機。いつ戻れるかは分からない」
この知らせを受けて真っ先に思ったのは、どうして私は「残る2人」に選ばれなかったのだろう、ということだった。
私は今の職場で、店長の次に勤務年数が長い。だけど「残る2人」は店長と、もう1人、私より一つ年上の女の子Mちゃんだった。
なぜ私でないのか、理由はは分かる。彼女はリーダーシップがとれて、視野が広くて、いつも穏やかだ。非常時にお店をまとめるにあたって店長とMちゃん以上の適任はいない。
私の「なぜ」は、「なぜ私も彼女と同じステージまで辿り着けなかったのか」という後悔だった。
ただ長くこの場所にいるだけで、肝心な時に、彼女にリスクを背負わせて家にいることしかできない。私は何をやってきたんだろう。とても悔しかった。
仕事に復帰してからも、同じ無力感が消えなかった。
お客さんの戻らないがらんとしたお店で、なんとか新しいことをしようとするスタッフたちの中で、私は自分の気持ちを保つだけで精一杯だった。
お給料も減った。好きなものを好きな時に食べられないし、大切な誰かを助けたいのにお金を出すこともできない。両親に全部任せきりにして、おばあちゃんのお葬式にも行けなかった。
毎日毎日、自分の仕事を探して、探して、それでも時間は過ぎてくれるけど、心はちょっとずつ削れた。
暗いニュースだけではなく、ポジティブな言葉も、頑張っている人の姿も、プレッシャーに感じてしまっていた。
そんな折だった。具体的なきっかけはもう思い出せない。
休みの日ふいに、星野源のオールナイトニッポンを聴いてみようと思ったのだ。
どんな内容だったのかもうあまり覚えていない。確かMIU404の撮影中だったから、初めて聞いたコーナーは野上クイズだったのだとは思う。
唯一覚えているのは「納豆の食器は洗剤をつける前に水洗いするといい」という話を得意げに語る源さん。
そのラジオには社会に対する愚痴もなければ人の不幸を笑う話題もなく、わざとらしくポジティブなムードもなかった。くだらないけど全部真面目で、普通の生活にちゃんと根付いたあったかい空間があった。
背中を押すのではなく、隣に座って気楽に話をしてくれた。
それが、自己否定感に苛まれた心に、水のように自然と沁みた。
そりゃあみんなこのラジオを聴くわけだ。星野源は今更私が褒めることもない、大人気パーソナリティなのだ。
『うちで踊ろう』で「遊ぼう、一緒に」「変わろう、一緒に」と歌う歌詞が好きだ。
この言葉の寄り添い方は、私が星野源のANNにしてもらったことに似ている。
ラジオを聴き終えた時、直感的に感じた。
この人はきっと、私がいつ、どの入り口から部屋に入って、いつ出ていっても、寄り添ってくれる人だ。
この人はきっと、私がどんなに無力で、下手くそで、時に人を傷つけても、私が生に真剣である限り、私の味方でいてくれる人だ。
都合のいい解釈かもしれない。
でもそう思ってしまうくらい、源さんの声や言葉はとても心強かった。
こうして私は長い時を経て、完全に星野源に対する武装を解除した。
生きていると、心が削れる。
だけどこうやって、ずっと手の届くところにあったはずのものが、偶然穴を継いでくれることがある。
アイドルを応援してみて、つくづく思う。
私は彼らに永遠に好きを保証してあげられないし、彼らも私を幸せにすることに責任を負えない。
芸術はいつも無責任に私に寄り添い、私は自分勝手にそれを享受する。
それでも、いやだからこそ、私が切実に手を伸ばした時は、必ずその手を掴んでくれる。
きっとそれは、削った心を埋めてくれるそれらの芸術は、人が身を削って生み出した物だからだ。
私が感じた心強さは、星野源という世界的に活躍するアーティストが、そういう誠実なマインドで存在してくれているという希望だ。私には味方がいる。
継ぎはぎは沢山あった方がきっと豊かだし、もらったけど使わなかったハギレもいつか別の穴を継ぐときに使えるかも。
まあちょっとだけ穴が空いたままなのも素敵かもしれないよね。どう?
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