筋を通すことの大切さと三つ子の魂百まで
自分に正直になる、これは自分の中で気持ちが悪いと感じることを無視しないで、筋を通すことが含まれる
僕の記憶の中で最も古いもののひとつを紹介します。
5歳になる前くらいだった。母の実家に家族で遊びに行っていた時のできごと。
鶴のガラス細工が玄関に飾ってあり、祖父のお気に入りであった。
大きさは20センチくらいか。鶴の胴体は中が空洞ではないので大人が持ってもそれなりに重さを感じる物。
鶴なので当然首の部分はかなり細く、置いてある状態から横倒しになったくらいの衝撃でも簡単に折れてしまっていただろう。
当然、4歳児にはかなりの重さ。
それで遊んでいたら、祖父からこっぴどく怒られたのを覚えている。
多分、何度か注意されても聞かずに遊んでいたからだろう
4歳なりに、綺麗な鶴さんと楽しく遊んでいたのにどうして取り上げられるのか意味がわからない!まして怒るなんてなんて理不尽なんだ!
みたいな思いがあり、自分では記憶にないが祖父に蹴りを入れたらしい(笑)
記憶にあるのはここから先の話
叱られてめっちゃ泣いたあと、母が何か色々話していた。で、やっぱ自分が悪かった。というか、誰かの大切な物で危ない遊び方をしていたらしい、みたいなことを理解した。
母は一緒に謝ってくれると言ったが、僕は「いや、ひとりで謝る」と言い、祖父に「ごめんなさい」と言った。
その時祖父は、母に頼らず一人で謝ることができたことを褒めてくれたのを覚えている。
■筋を通すということ
当時の自分はなぜ母に頼らず自分ひとりで祖父に謝るに至ったのか?
あの時の感覚を思い出しながら言語化してみるとこうである。
鶴のガラス細工がどれほどに壊れやすく、また、祖父が大切にしていることを考えずに遊んでいたことは、誰かの大切なものを大事していなかったことである。
それは逆転させて考えると非常に申し訳ないことである。
そして、悪いことをしたのは母でも誰でもなく自分である。
謝ることは、誰かに手伝ってもらうことではないし、巻き込むのは自分で納得がいかない。
だから祖父に謝るのも自分一人であるべきだ。
ひとりで謝ったのは幼い僕なりに自分の筋を通したに過ぎないが、どうやらそれは4歳、5歳にはちょっと難しいことらしいということは大人になってから知ったことである。
何十年と生きてきて、正直に自分を見つめ直した時、自分の中で筋が通っていないことがたくさんある。
そしてこの違和感は確実に自分を蝕んでいる。
自分の心根で考えていることを正直ベースで筋を通すことが、人が本来持って生まれた在り方、生き方なんだろう
思いと行動のシンクロ率が高いほど幸せに生きられる
筋を通すことはとても大切であり、幸せに生きるための手段のひとつである。5歳前後の自分ができたのだ。三つ子の魂百まで、自分はこれを忘れずに生きる。
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