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WHO妄想日記②1980年〜天井の記憶〜

幼少期、私は病気ばかりしていた。

2021年では、周期性嘔吐症、アセトン血性嘔吐症と呼ばれている【自家中毒】が私をかなり悩ませました、、、。

周期性嘔吐症は、自家中毒症、またはケトン血性嘔吐症ともいわれます。 周期性嘔吐症は、2歳から10歳ぐらいで、体の線が細く繊細な子どもに多くみられ、風邪などの発熱時や遠足の後、また発表会の前後などに、急に顔色が悪くなり、腹痛、吐き気、頭痛を訴え、その後何度も嘔吐を繰り返します。

吐く、吐く、吐く

自家中毒は、原因不明の病気で、なんの前触れもなく激しい嘔吐に襲われます。吐くモノが無くなると、苦い苦い体液が口から出てくる。更にそれが無くなると酸っぱいリンゴを腐らせたような物体が出てきます。なんとも言い難い気持ち悪さです。

そして、体力はどんどん消耗されていく。

水分も吐いてしまうので、脱水症状を懸念して、酷いときには点滴をします。

丸々2時間。一人きり。

4歳から5歳児にとって、それはかなりの苦痛でした。

ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

早くお家に帰りたい、、、!!その気持ちに反比例するかのように遅く遅く落ちる輸液。

見動きが出来ない状態で、一人時間の流れを感じる。

白いシーツに包まりながら私は人生初の孤独を知りました。

私だけ家族では無い夢をよく見た

私には弟が二人居て、有り難い事に大変健康です。

私が自家中毒で病床に伏せてる時に、リビングから家族団欒の声が聞こえてくる。

この時期、よくこんな夢を見た。

ワタシ、母、父、弟二人でクラッシックカーに乗り、何処かに向かっている。巨大な土壁の前で、ワタシだけ車からおろされて「貴方だけ本当の家族では無い」と母が言い放ち、巨大な壁に車ごと激突してワタシ以外の家族が爆破してしてしまう

病気に寄り、かなり孤独だった事がこの夢から分かります。

母は甲斐甲斐しく看病してくれましたが、時々、冷たい目で私を見ていた。これは、仕方がない事です。原因が分からず、対処方もなく、効く薬もない病気。どんなに看病しても、娘は「苦しいよ、苦しいよ」と言いながら吐き続け、その間、何処にも行けません。

年子の子供もいる。その子育て、掃除、洗濯、3食の用意。テクノロジーがすすみ、時間の余裕が出来た現代と違って、80年代は家事の行程にも時間と手間を要します。

この子が邪魔、と感じても可怪しくはない。

1980年代、母の息抜きはお夕飯の買い物でイトーヨーカドーへ出掛ける事でした。

自家中毒で寝込んでいる私がすがるような目で母を見つめると、プイッと何も言わずに出掛けた事が有ります。※前述しましたが、それは極自然な感情です。誰だって、先の見えない行為に疲れる時がある。

私は、そんな時、母の帰りを待ちながら、天井のシミや、カーテンの柄を見て形遊びをしていました。

あれはキリンさん。

あれは、象さん。

あれは、かわいい女の子。

あれは、お岩さん。怖い!

門を開けて、引き戸の玄関の音が聞こえる。


あ、おかあさん、帰ってきた、、、。

私は安心して眠りにつきました。


私の持病、自家中毒は、幼少期のモノで、今ではその症状が出る事はありません。しかし、まだ発症のエビデンスは得られて居ないとの事。世界中の自家中毒で苦しんでいる子供達、大人達に祈りを。そして抱きしめてあげたい。その苦しさは永遠ではない。。。


追記

4歳の時のワタシ。

良く頑張ったね。

エライね。ヨシヨシ。



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