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主人のことについて①

ここで、少し私の知る限りの主人の生い立ちについて記しておこうと思います。

主人は昭和11年生まれ
私の実家の隣村の出身でした。

以前も書いたように
私の高校の同級生のお兄さんでした。

主人の実家はその地域一体では有名な名家といいますか
小作人を何十人も使っているような大百姓の家でした。
今あの生家が残っていたら、立派な古民家として有名になっていたかもしれません。

その家の名前は、小さい頃から私も知っていたくらいでしたので
本当に有名だったのだと思います。

ですが、主人が3歳の頃に父親が他界し
母親はなぜか?大阪に働きに出ていったようで
主人は1歳の妹とお祖父さんお祖母さんと4人で実家で暮らしていたようです。
そのお祖父さんも村の教育長をするような立派な有名な人だったと聞きました。

詳しい幼少の頃の暮らしぶりまではわかりませんが

後々に知り合いの近所の人の話によると
主人は小学校から帰ると「腹が減ったーーー!」と言って必ず機嫌が悪くなるので
小作人が必ず一人主人に付き添って
お茶碗にご飯を盛って箸を持ってついて回っていたとも
聞いたことがあります。

また成人してからも
相当な酒飲みだったようで
「誰か田んぼの畔に倒れてるで〜」というと
村の皆が
「ああ、きっとそれは栄一やで」
というくらい酔っ払って田んぼの畔に寝るのは有名で
自由気ままに
食べたい時に食べ、呑みたい時に呑み
寝たいと思ったらどこでも寝るような人だったようです。

また結婚後にも酔っ払って線路に落ちて大怪我をしたこともありましたっけ。

そんなことは結婚して後々に知ったことで
パッと見た目はそんなに風変わりな問題児には見えなかったのは
神様のワナだったのでしょうか。

でも、お父さんが早くに亡くなってお母さんは大阪に行ってしまい
お祖父さんお祖母さんに育てられたことは
主人の妹である同級生の美佐代さんから聞いていたので

結婚後に
色々父親らしくできないことや夫らしくできないことも
「きっと親の愛情を知らない寂しい人なんだ。
子供が生まれて愛情を感じれば変わってくれる」と
私は信じていました。

ですから子供達をどうにか主人に懐かせようとあれこれ手を尽くしました。

主人が夜勤に出て行く夜中に
寝ていた長女をわざわざ起こして泣かせ
「お父さんがお仕事行っちゃうから寂しくて泣いてるんだね」と
主人に言って出掛けに抱っこさせてみたり
お金もないのに家族で一緒に出掛けて家族の楽しさを味合わせようとしたり
とにかく子供達に「お父さん、お父さん」と言わせるようにしたりしました。

その効果はあったのか、全くなかったのか?
わからないまま
主人のマイペースというか
自分第一主義は一生変わることはなかったようにも思えますが
どうだったのでしょう。

ただ、亡くなってから
近くの教会の奥さんから
「ご主人、娘さんが交通事故に遭われて入院された時から毎日参拝に来てくれてたんですよ」と聞かされて、びっくりしました。

主人は生前、そんなことは一言も言いませんでしたし
娘が事故に会った時も
心配してるのか?事態を理解しているのかさえわからないような感じでしたから。

今思えば、愛情表現の下手な人
どうしていいかわからない人だったのかもしれないですね。

でも、長女の子供が生まれてからの主人は
別人のように孫を可愛がり始めました。

主人のお爺ちゃんぶりについては次回また。





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