そして和歌山に戻ってきました
そんなこんなで
戦い済んで日が暮れて・・・
私はまた仕方なく和歌山に戻ってきました。
実家に戻り
実家から通える病院に就職しました。
「串本病院」というところです。
向かって右端が私です↓
私が戻ったことを父はとても喜んでいたようです。
そしてまた心配でもあったのでしょうか?
夜勤明けの時などは
知り合いのタクシー会社に頼んで
私を迎えに来させていました。
父はお金はない人でしたが
人の繋がりは多い人でした。
そのタクシーがくると
病院の人は
私をからかうように
「お嬢!お迎えやで〜!」と笑いました。
この病院もまたとても楽しい勤務でした。
休みの日には
しょっちゅう、ドクターや同僚を実家に連れてきては
父を交えながら、みんなで母の手料理を食べて
川で遊んだり宴会をしていました。
料理好きの母は「ここぞ!」とばかりに腕を振るい
お酒好きの父は「ここぞ!」とばかりに呑んで演説し
楽しんでいました。
そんなある日
私にもいよいよ「嫁入り」の話が舞い込んできました。
サンフランシスコに住む母の従姉妹からの紹介でした。
それは「結婚してロサンジェルスで住まないか?」
という夢のようなお話しでした。
つづく
キミちゃんより
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?