看護への道
ずいぶん、前回から間が空いてしまいました。
「看護婦時代の写真がどこかにあったはず・・・」
と探しているうちに、時間が経ってしまいました。
ありました、ありました。
向かって左側の恰幅の良いナース姿が私です。
さて前回、小学4年生の頃に扁桃腺が腫れて高熱を出した折に
優しくしてくれた看護婦さんに憧れて
看護の道を目指した・・・というお話を書きました。
そうは思っていたものの
両親ともに日々の生活が精一杯でしたし
周りにも「看護への道」を示してくれるような人は
おりませんでした。
そんな中でも
どうにかこうにか「高校」に行かせてもらうことができました。
また、ここまでの道のりも後日、記したいと思っておりますが
とりあえず看護婦の道に向かいましょう。
その高校の友人に「瀬古さん」という人がおりました。
私が
「看護婦になりたい」と普段から言っておりましたので
「私のお姉ちゃんが和歌山でバスに乗ってるんやけど
そのバスに『看護婦見習い募集』って紙が貼ってあるらしいで」
と教えてくれました。
私はすかさず
「お姉さんにどんなこと書いてあるのか教えてもらって!」と瀬古さんにお願いしました。
そして、高校卒業前に
セーラー服を着て、和歌山市にあるその貼り紙の病院に
親戚の叔父さんに付き添ってもらって行きました。
そこは「胃腸科専門の病院」でした。
卒業後、何もわからないまま
その病院に住み込みながら
病院の掃除をしたり、手術の後の血の付いた洗濯物を朝から晩まで洗っておりました。
今思えば、あまりにも単純なのですが
その時は「こうしていればいつか看護婦になれるんだ」と単純に思って一生懸命、来る日も来る日も山のような洗濯物を洗っては干し、洗っては干し・・・を繰り返していました。
そんなある日、半年くらい経った頃だったと思いますが
その病院の婦長さんに
「あなた、看護婦になりたいの?毎日、こんなことをしててもアカンのよ。ちゃんと勉強しなかったらなられへんのよ」と言われました。
そして、これから1年その病院で働きながらお給料を貯めて
市内の看護学校を受験するように勧めてくれました。
本当に、ここからやっと看護の道への一歩が始まったのでした。
つづきます
キミちゃんより
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